「ドリンクバーも飲みたいし、コーンスープも飲みたい」
まだ小学生の頃、家族で来ていたファミレスでメニューを決めている時だった。
母親はそれらを注文してくれて、料理が来て食べている時にこう言った。
「普通はドリンクバーもコーンスープも頼まないんだよ。どっちかだけ」
本当に小さい一言。なんて事ない、本当に小さな。今、母親は絶対に覚えていないだろう。だけど、今でも私は覚えている。

母のストレス、そして思いやり。その思いを汲み取った幼い私

我が家は、父方の祖父母と同居しており、祖母の嫌味や無意識な行動に母親はストレスを抱えていた。
まだ、小学生の私は、空気の読めない所があり、祖母に玩具や雑貨を母に買ってもらったと見せる事があって、それを母親はとても嫌がり、怒鳴られ隣接する寝室に引き篭った。

「お習字、級が上がったよ」
寝室に居る母親に向かって、扉越しに言った。すると母は出て来て、「凄いね」と褒めてくれるのだ。
感情的な人。今でもそれは変わらない。

自分でも必死だったろう。大嫌いな姑から心を守るのに。
そして、その苛立ちを馬鹿な娘に当てないように。当ててしまった罪悪感を消せるように。

その服、組み合わせ変だよ。もっと丁寧にやりなよ。もっとこうやってした方がいいのに。

何かを自分でやろうとする度に母は言った。親心だったろう。娘に失敗しないよう、アドバイスをしたのだろう。

何でも母に聞くようになった。
この組み合わせ、どう?綺麗に出来てる?これ、こうした方がいいかな?

服の合わせが変だよと言われれば、また服を決めないといけないのかと、心が落ち込み、まあ、いいんじゃない?と言われれば喜んだ。

私は母親の前で、一から1人で料理を作れない。口を出されると傷つくから。
一緒には作れる。言う通りにしてるだけだから。

ただただ、最初から否定しないで見守ってて欲しかった

24歳の時、髪を編み込みしたのを見せた後、ふと母親が言った。
「貴方は、割と上手に出来るから、実は、器用だよね。」

貴方が私を褒めたのは、これが初めて。
貴方はそんな事思っても無いと思うけど、しっかり褒めてもらったの初めてだよ。
今まで言ってたのは、最低限のボーダーラインに着いたからの、いいんじゃない?だけ。

本当は、ただ見守ってて欲しかったんだよ。肯定的に見てて欲しかっただけだよ。
何でも最初から否定しないで、後から一緒にもう一度やったり、アドバイスをして欲しかったんだよ。
私のやりたい事、やった事、最後まで見てて欲しかったんだよ。

母親の事は好きだ。感謝もしている。助けて貰った事、忘れないよ。