憧れを実現できたことが少ないと思う。
理由の一つとして母親の存在がある。現代で言うところの毒母ではない。明るく、誰とでもすぐに仲良くなれる。悪いことをしたらちゃんと叱ってくれるし、良いことがあったら自分のことのように喜んでくれる。強くて優しい、大好きな母だ。
でも、だからこそ、母の言葉はいつからか私の中で絶対になっていた。

母の言葉は絶対だと思って生きてきた

「塾に通い始めるから、ダンスはやめよう」
「髪質的にショートカットだときっと大変だよ」
「スカート、赤より青の方が似合いそう」
「いい大学に入った方が就職も楽になるよ」
「出版社は激務だから違う仕事の方がいいんじゃない」

母の言うことは正しい。そう思って二十数年生きてきた。

実際、事実のことが多かった。
塾は週三、四回授業があって部活との両立で精一杯。
髪の毛はウネウネするタイプの癖毛で、どの美容院に行っても「ショートにすると大変ですよ」と言われた。
就職先だって突き通せない程度の気持ちでは働くのが嫌になっていただろう。
社会人二年目、二十三歳の私はそこそこいい大学を卒業して、そこそこいい企業で働く、普通の大人になっていた。

行きつけの美容院で転機が起きる

大学卒業間際にはじめて行きつけの美容院ができた。
技術力はもちろん、担当美容師Mさんの接客が好きで通うようになった。
アンケートは書いていないのに好きな雑誌を出してくれるし、雑談が苦手な私にはカット中話しかけてこない。とても居心地がよく、働くようになってからもお世話になっていた。

ある日、仕事が早く終わりそうだったので髪を切って帰ることにした。
Mさんにいつも通り「今日はどうしますか」と聞かれた時、ふとショートヘアはできるか聞いてみようと思った。
「ショートヘアにしてみたいんですが、できますかね?」
Mさんはすぐに答えた。
「全然できますよ。どんな感じがいいですか。」

ゼンゼンデキマスヨ。

私は予想外の言葉にフリーズした。
イメージなんてなかった。どうせできないと思っていたから。
なにも答えない私にMさんは、スマートフォンを取り出して、いろいろなショートヘアの写真を見せてくれた。
ショートボブ、ウルフショート、マッシュショート、ベリーショート。
写真を見ているうちに、映画『モテキ』の長澤まさみさんの髪型に憧れていたことを思い出した。一番イメージが近い、襟足がスッキリしたセンターパートのショートヘアを指差してこれでとお願いした。

カット中は半信半疑でドキドキしていた。
終わって鏡を見た時、見たことがない自分がいてなんだか照れくさかった。
カット翌日以降、自分でセットしてもうまくまとまることに感動した。
同じことに対して「できない」という人もいれば、「できる」という人もいる。母の言葉も絶対ではない。あくまで一つの意見なのだ。そんな当たり前のことに二十三歳でようやく気がついた。

母の言葉は全てではない、やるかやらないかは自分次第

母を軽んじるようになったわけではない。今までの言葉を恨んでいるわけでもない。母の言葉がなかったら、会えなかった人や見ることができなかった景色もたくさんある。
ただ誰の言葉であっても一つの可能性を述べているだけで、できるかどうか、やるかやらないかは自分次第だと思うようになった。

二十六歳になった今でもショートヘアを維持している。自分が変わった証とかっこよく言いたいところだけれど、手入れが楽で伸ばせなくなっただけだ。
でも、ショートヘアになってから自分の可能性を信じることができるようになった。
ダンスはまたはじめられるし、赤いスカートだって履ける。仕事だっていくらでも変えることができる。
憧れを実現するには、私にはまだまだ時間があるのだ。