絵本に出てくる登場人物の感情は、すごくストレートだ
私は絵本が好きだ。「ぐりとぐら」や「おつきさまこんばんは」なんかは小さい時に読んでもらったことがあるだろう。可愛いイラストや分かりやすい文体が特徴だ。絵本を読むと、懐かしい記憶に包まれて、子供のころに帰ったような気持ちになる。最近では一つの芸術作品として評価するような見方もあり、大人もその世界に引きずりこまれている。本来は子供向けに作られているものであるが、大人にとっての絵本の価値とはなんだろう。私は、登場人物の素直さにあると思っている。
絵本に出てくる登場人物の感情は、すごくストレートだ。嬉しいことがあって満面の笑顔になる。悲しいことがあったから大声で泣く。因果が分かりやすい。しかし、こどもは年齢を重ねてたくさんの文章が読めるようになるにつれて、絵本を卒業していく。成長するにつれて、より複雑な話を読むようになる。
スマホの画面はひびが入っていたのに、仕方ないとバッグにしまった
先日、私は図書館に向かおうとしていた。横断歩道を渡っていたが、途中で信号が赤になってしまった。急いで走った。するとポケットに入れていたスマホがスルッと抜け落ちて地面に叩きつけられてしまった。スマホを確認してみる。案の定、画面はパキパキに割れてひびが入っていた。それなのに、私はまあ仕方ないとバッグにしまった。ちょっと悲しいことがあった、日常の一コマなのかもしれない。でも私は、時々このことが頭をよぎる。
その当時は運が悪かったとしか思わなかったが、スマホが割れたことは少なからず私にとって悲しい出来事であったはずだった。なのにさして悲しむこともなく、それにふたをするかのように、「仕方ない」なんて思った。でも、これが一概に悪いことだとは言えない。私は成長の過程で、悲しみを受け流す術を身に着けたのだろう。日常の嬉しいこと、悲しいことにいちいち一喜一憂していたら心が疲れてしまう。でも、護身術を身に着けると同時に、素直な気持ちを持つことができなくなってしまった。絵本に出てくる子なら、きっと割れてしまったスマホを見たら泣いただろう。毎日どんなときも一緒で、どこにも持ち歩いたスマホなのに。
心の平穏は必要。でも完全な平穏に、私はどうしても恐怖がある
しかし、絵本の登場人物と大人になってしまった私たちには大きな違いがある。もう私たちには、絶対に助けてくれる大人の存在はないということだ。私たちが大人になってしまった以上、誰にも甘えることはできない。話を聞いてくれる人はいるかもしれないが、根本的な解決はしてくれない。小さい時にはいくらでも上がいた。でも成長するにつれて頼れる上は少なくなっていく。その事実が、私たちを大人にしたのだろう。
でも、悲しいことがあった時に素直に悲しいと思えること。そのことを忘れたら、嬉しいことに素直に喜ぶことも忘れてしまうのではないか。「まあ偶然うまくいっただけだから」「私の力じゃないから」。嬉しいことに対しても予防線を張ってしまう。それは本当に幸せなのか。心の平穏は生きていくうえで必要なことだと思う。だけど、完全な平穏を持ってしまうことに、私はどうしても恐怖がある。