現在27歳の会社員である私と同じ年齢の時に母は私を産んでいた。
結婚はしたい。両親の姿をみて、兄弟仲が良く育ってきた私は、適齢期になれば自動で結婚できるものだと思って生きてきた。自分はまだ両親の子供のままなのが現実である。

27歳、結婚願望なしに見せてるけど、求婚されたら食い気味YES!

例えば、始めて1年が経とうとしている一人暮らしは快適で自分が自立してやっていけると示すには十分だった。だけど話し相手がいないこと、実家のご飯が食べたいと言う理由でほぼ毎週帰っている。結局実家の近くに一人暮らししたのは心のどこかで離れたくないという思いがあったんだろう。

話は変わって、私は恋愛中である。しかし、27歳の恋愛は25歳とも23歳とももちろん20歳とも違う。圧倒的に結婚へのプレッシャーがかかっている。いくら強がりで『人生100年時代なのだから35歳まで結婚したくない』と言っても、結婚の方向に自分が順調に進んでいるそぶりは見せたい。だけれども、予防線のため家族や友人には結婚願望ないと言っている。今すぐ結婚したいわけではないからこの言葉も丸きり嘘ではないが、プロポーズをされたら食い気味で『YES!!!!』と言うだろう。そんな、心の底で常に葛藤している年齢が27歳の特徴なのだと思う。

彼氏に献身的な私は、結婚できるかどうかのオーディション中

最初は彼氏と料理を一緒に料理を作ったり、置いていった部屋着を洗濯しているだけで幸せを感じていた。しかし、時間が経つにつれて慣れてきて相手への要求も高くなる。自分がやってあげたことへの対価を求める。相手のためを思い見返りを求めずやっていると思っていたことが、実は愛情の向こう側にいる、結婚できるかどうかのオーディション中の自分に付加価値をつけているだけだったのかもしれない。こんなに献身的で、料理も洗濯もやってあげる結婚向きな私に、結婚というゴールに向けたスタンプラリーのポイントを付けてあげている。自分は愛されることに足りる人間なのか?奢りたいと思えるいい女なのか?周りから見て羨ましいと思われるのか。走り続けるために、ポイントを自信に換算して自分を励ましている。

だからこそ結婚の奥の深さと他人と生活すること、すり合わせをすることの難しさを感じている。神に誓うくらいの大ごとなだけはある。私にはまだ誓えるほどの覚悟はないけど、結婚していなくても幸せな自分の人生を満喫しようと思う。結婚するその日まで。結婚はゴールじゃなくてスタートラインだからと言うその日まで。