第一志望の大学に落ちた。ずっと憧れていた大学だった。
年という単位で積み重ねた努力は、受験番号の載っていない掲示板で呆気なく幕を下ろした。

胸を張れるほど勉強したけれど、憧れていた第一志望の大学に落ちた

その大学に入ることが、私の目標だった。
ホームページを頻繁にチェックして、オープンキャンパスにも参加した。ニュースでその名を見れば、食い入るように見つめた。通学中も、放課後も、夜遅くまで必死に勉強した。何度も見た教科書は、どれも折り癖がついていた。
それだけに、現実を受け入れるのは辛かった。
 
---どこが駄目だったんだろう。自信を持って解答を書いたはずだった。胸を張れるほど、勉強した。
掲示板を食い入るように見る私に母は言った。
「過ぎたことは仕方ないじゃない。」

「え?」 
きっと、そのときの私の態度はお世辞にもいいとは言えなかっただろう。何を呑気なことを。落ち込んでいる娘にそれはないじゃないか、と。そういう気持ちが言葉にのって母に届いただろうに、母はたしなめない。いつもならば口酸っぱく言うはずなのに。
「お母さんも希望していた学校には行けなかったからね。」

「こういうのもご縁ってやつよ。」報われない努力はある。同じ辛さを経験した母の言葉

はっとした。
彼女も一緒だった。私たちは同じ辛さを共有している。行きたかった学校に落ちてしまったという悲しみだ。そして、二人とも努力は人を裏切らないというけれど、そんなことはないと知っている。頑張っても、報われない努力はある。
けれど、母の顔は穏やかだった。もう何十年も前の話だから、では片付けられないはずなのに。世の中には、その何十年もの前の話を引きずって生きている人は沢山居る。ティーンだった私でも、それくらいは知っていた。  
「こういうのもご縁ってやつよ。希望していた学校には行けなかったけど、そこでしか出会えなかった、かけがえのない友達ができたから。」

母には、卒業してもう何年も経つというのに、未だに連絡を取り合う友人がいる。帰省した折には、彼女たちと会うこともある。未だに、母は私に当時のことを楽しそうに話す。変わった先生、面白い授業、バブル期の豪華な放課後・・・・・・
きらきらした宝石のような思い出は、私に学校への憧れを抱かせるには十分だった。
当時をぼんやりと思い出しているのか、口の端が上がった母は続ける。
「その学校だからこそ出会えた友達、経験ってものがあるんだよ。世の中ご縁だもの。」
「ご縁・・・・・・。」
口の中で小さく唱える。
「そう、腐らずやっていたら、紗椰ちゃんにもいいご縁があるはずだよ。」
決して信心深い方ではないけれど、少し心が軽くなった気がした。

過去は変えられないけれど、未来は変えられる。私はこれからに希望を託す

ご縁、ご縁、ごえん、ごえん・・・・・・・・・。この言葉を何回唱えただろう。
なんとか滑り止めの大学に入学して2年が経った。友人もできた。学業も順調だ。部活、サークルに、バイトと、毎日楽しい。けれど・・・・・・
---もっと勉強を頑張っていたら
---あの大学に入っていたら
行きたかった大学に行っている友人がSNSにのせている写真を見ると、そんな気持ちが湧いてくる。
眩しいくらいの笑顔を見せる彼女には知られたくない、みっともない嫉妬心と後悔。
時を戻すことなんてできやしないのに。どうしようもない「もしも」が頭をよぎったときには、この呪文を唱える。過去は変えられない。

けれど、未来は変えられる。
今を「ご縁」として受け止めて、まだ見ぬ「これから」に希望を託す。
そうしていればいつかは、母のように穏やかに生きることができるだろうか。