化粧道具や、お化粧をするということは、幼い頃から私の身近にあった。
もちろん私が、その時からお化粧をしていたわけではない。私の母が、お化粧好きだったのだ。お化粧だけでなく、スキンケアやヘアアレンジなど、美容全般が好きだった。

各ブランドの魅力を消すことなく秩序を持って共存する化粧品売り場

そんな私は、小学校高学年から、母とデパートの化粧品売り場に行くことがたびたびあった。
当時私は、化粧品にそこまでの興味はなかったけれど、母の買い物に付き合うのは嫌じゃなかったし、その後に私の物を見たり、ご飯を食べたりして、楽しかった記憶がある。

母とデパートの化粧品売り場に行ったことがあまりに多く、どれが最初のものなのか、はっきりとは思い出せない。けれどそうは言っても、毎週末行っていたわけではなかったので、私は行くたびに、そこの、まるでステージ上のような照明と、色とりどりの化粧品、ポスター、美容部員の制服やお化粧に圧倒され、きれいだと改めて思っていた。

それだけでなく、私が特に良いと思ったのは、世界観やテイストが全く違うブランドが、お互いの魅力を消すことなく、秩序を持って共存していることだった。

海外ブランドらしい、派手なお化粧のブランドと、ナチュラル志向の柔らかいお化粧のブランド。その間のような、流行を追いつつも、派手にはならないお化粧のブランドなど、こうやって書くだけでもそれぞれの世界観の違いがわかるくらい、各ブランドのテイストは違っていた。それらが、他のブランドの邪魔をすることなく、凛として、売り場の決められた面積内に佇んでいる姿そのものが美しかった。

それは、「私とあなたの好きなテイストは違うけれど、どちらも美しいよね」と、ひっそりと、客である私たちに、姿で示しているようだった。

「美の英才教育ですね」。美容部員が母の横にいる私をみて言った

母と化粧品売り場に行くのは、私が大学進学を機に、一人暮らしをするまで続いた。
私が一人暮らしを始めてからも、私のアパートに来てくれて、二人でデパートに行ったことも、何度かある。

小学校高学年の時から、化粧品売り場で、化粧品そのものではなく、売り場の空間を、先ほど述べたように私は見ていた。それから、他の客のことも見ていた。まあ、それだけ退屈だったと言えなくもないが。

母は、よく、美容部員に色々な質問をしたり、化粧品を試したりしていた。
母は、美容部員だけでなく、店員とすぐに打ち解けられる性格で(メールアドレスを交換していたこともある)、少しの時間で、話が盛り上がることも多かった。そうやって母が、美容部員と話をする時は大抵買う時で、カウンターで現金をトレイに乗せる母と、袋に商品を詰める美容部員は、まだ話をしていた。

小学6年生の時、そのようなやりとりの中で、美容部員が私のことを見て、母に言った。

「小さい時から連れてきてもらえて、羨ましいです。美の英才教育ですね」

私は「美の英才教育」という単語を、なぜか面白く思った。
別日に行った違う店舗でも、そこの美容部員は同じようなことを言っていた。
その人も、英才教育という単語を使っていた。

憧れはないけどデパートの化粧品を愛用する私は英才教育の成果かも

「美の英才教育」を受けた私は、母のようにデパートの化粧品売り場に憧れを持ち、たびたび訪れるようになったか。答えは否である。
私はお化粧は好きだけれど、同じ物を何年も使い、使い切ってから新しい物を買っている。
新作が出るたびに、心を躍らせていた母とは違う。

それに、私はデパートの化粧品売り場が、ちょっと怖い。圧倒されてしまうのだ。だから一人ではなるべく行きたくない。そのことを母に言ったら、「身なりを整えて、背筋を伸ばして行くところなのよ」、というようなことを言われた。
なんだ、母も緊張していたのか。私は肩の力が抜けたような気がした。

そういえば、私の化粧品には、デパートで買ったものが多い。
そのなかに、一人で買いに行ったものはないけれど、やっぱり私には、「美の英才教育」の成果が表れているのかもしれない。