昔からコミュ障隠キャだった。
 人に興味を持つのも持たれるのも苦手で、人と関わりたくなかった。高校生の頃の昼休みはイヤホンを耳につっこんで机に突っ伏していた記憶しかない。
 部活が一緒の同級生で、友人と呼べそうな人が1人だけいた。その子がたまに私の教室に遊びに来て、「席替えしたんだ、隣の席は誰になったの?」と聞いてくれても答えられなかったのを覚えている。

私にとってはみんな街ゆく人 そんな私を人間らしくしてくれたのも

 そもそも興味が無いので同級生や先生も街ゆく人と一緒で、あとから思い出そうと思っても顔や名前に靄がかかっている、その程度の存在だった。
 クラスのラインには入っていなかったと思うし、みんなが知っていて私だけが知らないこともあったと思う。それでも高校生のうちはそれほど困らなかった。人付き合いなんてどうせ頑張ってもできないし、無理するくらいなら1人でいる方がずっといいと思っていた。

 大学生になると、今までより少し、人と関わることが求められる場面が増えた。
 バイト先の大将に愛想のない接客をガチ説教され、働いている時間だけは対人を意識した振る舞いをするようになった。大学生協の前のベンチでぼっち飯をキメていた時に拾われたサークルでは、地域の人々と共同してお祭りやイベントを企画することがあった。
 うまくいかないことのほうが多かったし、めんどくせえなあ、こんなことなら最初から関わらない方がマシだと思うことは幾度となくあった。それでも、どうしたって人と関わらなければならない社会に出る前段階としては、いいリハビリになったと思う。私は私が興味を持ってこなかった街ゆく人たちに、以前に比べたら随分と人間らしくしてもらった。

仕事としてのコミュニケーション そう思っていたのにうっかり嬉しくなって

 そんな私も社会人となったのだが、今私はうっかり対人専門職に就いている。
 人の生活や問題点をアセスメントして、どうすればよりよく生きることができるかケースワークする、そんな仕事だ。大なり小なり社会生活を営む上で人との関わりは発生するものだと思っていたが、まさかこんなに人とのコミュニケーションに重きを置いた仕事に就くとは思っていなかった。人に興味のない私にこんなことができるんだろうかと思っていたが、3年くらい働いてみて思うのは「やってみてよかった」ということだ。

 うまくできているとは思わないが、努力はしている。今まで放棄してきた人付き合いも、仕事として賃金が発生する過程なのだということを意識してやってみると、どうすればよりよくできるか試行錯誤するようになった。
 人に興味がなかったので以前は人の話している内容なんかが全く覚えられなかったが、必要に迫られ覚えるようになった。相手も自分に興味や関心を持たれると嬉しいようで、そうすると少し関係が円滑になる。
 これは自分で驚いたことだが、少しうまくいくと、うっかり私も嬉しい。うっかりまたちょっと頑張ってみる。こうやればいいんだ、と分かったことをプライベートに応用すると友達も増えた。あれだけめんどくさいと思っていた人との関わりに、僅かではあるが楽しみややりがいを見出しつつある自分がいるのだ。

中学生の私に言いたい「隣の席の人の顔と名前を覚えてみな?」

 人と積極的に関わらないことで、よくも悪くも人に左右されない人生を送ってきて、それはそれで平穏無事な生活だった。人と関わるのはエネルギーがいることで、予期せぬ横槍を入れられて疲弊してしまうことも多い。しかし自分だけでは成し得ない経験や知見を与えてくれるのも、他ならぬ人との関わりなのかもしれない。
 昔の私が今の私をみたら、迷走しながら人に一生懸命ちょっかいをかけている姿を鼻で笑うだろう。冷めた厨二病だったのでめちゃくちゃ嘲笑されそうな気がする。そうしたら、でも案外思うほど悪くないよ、まずは隣の席の人の顔と名前を覚えてみな?と言い返してやりたい。