わたしは、わたしの顔が大好きだ。
コンプレックスは、今はもうない。
18歳のとある日、とある人の言葉によって、わたしが18年間抱えたコンプレックスは突然消えた。
その日以降、わたしの元・コンプレックスは誰からも褒められ、羨まれる武器になった。
コンシーラーで消してしまうほど、唇がコンプレックスだった暗黒時代
わたしのコンプレックス。
それはずばり、唇である。上下ともに肉厚な唇。
厚さゆえに中学校で入部した吹奏楽部ではクラリネットを希望したのに瞬殺で却下されユーフォニウムをやらされた。
大人こそ「魅力的な唇」は武器になり得るが、当時 小中学生。
他の子がたらこ唇とからかわれるたびドキッとした。
自分の唇が悪としか思えていなかった。
薄っぺらい、薄情そうな、爬虫類のような唇にとにかく憧れていた。
中学2年生で化粧を覚え、”コンシーラーで唇そのものを無くす”技を身に付けた。
暗黒時代の幕開けだった。
ご想像の通り、消された唇は違和感でしかない。
輪郭はどうしても若干見えてしまうし、唇なんて一瞬でヨレる。
それでも隠したかった。薄い唇になりたかった。
高校を卒業するまで『唇殺し』は続いた。
たまに素の唇を褒められることもあったが、
それを嫌味としか捉えられないまでになっていた。今思えば軽い強迫観念だ。
石原さとみさんのコメントが、18年間のコンプレックスを終焉させた
転機は18歳。高校を卒業する直前に訪れた。
何気なしに見たネットニュースの『第4回 くちびる美人ランキング(2012年 ORICON STYLE調べ)』。
その年初めて1位を受賞したのは、今や絶対的モテ女の地位を築いた女優・石原さとみさんだった。
正直に言おう、わたしは石原さとみさんが好きではなかった。
理由は簡単で、自分の厚い唇が嫌いだからである。
薄い唇こそ正義。そう自分自身で刷り込んでしまっていたわたしは、彼女に限らず唇の厚い方全般を魅力的と感じることが出来なかった。
しかしニュースを読んだ直後生まれた反発心はすぐに消え去ることとなる。
『正直コンプレックスに思うこともあったのですが、みなさんに選んで頂いて少し自信を持っていこうかなと。ありがとうございます、嬉しいです』(ORICON STYLE記事内より引用)
これは受賞時、石原さとみさん本人が寄せたコメントである。
わたしの18年間のコンプレックスを、5年間の暗黒時代を終焉へと向かわせたのは、
このわずか3行の言葉だった。
これまで唇を武器にしていたあの女優が、実はいまのわたしと同じように唇が厚いことがコンプレックスだった。
自分が好きになれなかった自分の唇が、世間に選ばれ褒められた。
急に重なった。
あの瞬間の感情は、10年近く経つ今も忘れられるはずもない。
コンシーラーの代わりにコーラルカラーのリップを輪郭に沿って乗せてみる
高校を卒業すると同時に、唇のコンシーラーを辞めた。
代わりに新しいリップを買った。
顔に映える明るいコーラルカラーのリップを、わたしの本来持つ唇の輪郭に沿って、丁寧に乗せた。
初めはこわかった。くちびるおばけと思われていないか。
でもそんなのは杞憂だった。
すごくたくさんのひとに唇を褒められるようになった。
わたしの本当の人生はやっとそこから始まった気がする。
褒められると嬉しくて、自分の唇を大切にするようになったし、リップメイクが楽しくなるとメイク全体が楽しくなった。
自分に自信を持ったら痩せた。
そしてなぜか唐突に二重になった。
まつげはお気に入りの長くて濃くてくるんと自然カールのまま。
コンプレックスは消失した。
そして有難いことに、自分に自信を持つようになってから、恐れ多くも、また奇しくも「石原さとみさんに似てるね」と言われることが爆発的に増えた。
ピーク時には週に1回ペースでおよそ7年間。もはや親近感しか沸かない。
その日本一とも言える最強の褒め言葉はさらに自信に繋がり、またも石原さとみさんには感謝の念しかないのである。
あのニュースに「コンプレックスだった」という一文がなかったら。
わたしは今も唇を隠して生きていたかもしれないのだ。
とにかく感謝をするしかないのだ。
石原さとみさんと、あのとき彼女を1位にしてくれたすべての人に。
今、わたしは、わたしの顔が大好きだ。
コンプレックスはなくなった。
綺麗じゃないけど。悩みもあるけど。
それでもわたしの顔が大好きだ。