私の親族は親戚中、女性が強い。
旦那さんよりも奥さんが強いし、お父さんよりも娘が強い。
そもそも女性が多く、例えば孫全員が女の子という具合だから、年末年始に親戚が集合すると尚更である。

「この人お酒ばっか飲んでるのよ」
「パパうるさいし最近臭いんだ」
「ほんと、仕事以外に趣味あるのかしら」

男性陣はいつも少し肩身が狭そうだ。女性が強い方が家族は安定するとか言うけれど、本当だろうか。

おじいちゃんは、親戚の女性陣に小言を言われてもいつも優しく笑っていた

ガヤガヤうるさい、だけど結束も強い私の家族が私は大好きだが、一つだけ直して欲しい所があるとするならば、もう少し男性に気を遣ってあげて欲しいと思っている。そして、私に旦那さんができたら、2人の時も子供の前でも、旦那さんに気を遣った発言を心がけたいと、自分の家族を反面教師として思っている。

ただ、こんな風に思えるようになったのは最近のこと。昔は、周りの真似をしてしまって、おじいちゃんやお父さんのことを大切に出来なかった。
時々、おじいちゃんのことを想い出す。

私の記憶の中のおじいちゃんは日本酒を飲んでいるかゴルフをしているかのどちらかだ。おじいちゃん世代では珍しく175センチ程の長身で、細身の身体を揺らしながら片手に日本酒の熱燗が入ったコップを持ってゆっくりと歩いていた姿が印象的だった。無口で、おばあちゃんや親戚の女性陣に色々と小言を言われても、いつでも皺を寄せて優しく笑っていた。

ゴルフが趣味で、おばあちゃんと一緒によく静岡の別荘へゴルフをしに行っていたが、ゴルフも運転もおばあちゃんに大負け。運動神経が良くて人当たりが良いおばあちゃんとは反対にゴルフの腕はそこそこ。ゴルフが終わるとお酒を飲んでおばあちゃんが運転する横の助手席で寝ていたらしい。

「あなたの木だよ。産まれた時に木を植えたんだ」

そんなおじいちゃんが元気に生きていた頃。確か親戚でおじいちゃんの別荘に遊びに来ていた、私が年少さんの夏休みのこと。

珍しくおじいちゃんが私を別荘の庭に呼んだ。何だろう?と思ってついて行くと、そこにはおじいちゃんよりも少し背の高い細い1本の木。

おじいちゃんはその木の枝に手を当てながら「あなたの木だよ。産まれた時に木を植えたんだ」と満足そうな笑顔で言った。私の名前と同じ花の木。

まだ年少さんだったけど、自分の木があるなんてなんだか素敵だと思って嬉しかった。ただ、親戚の真似をしていた私はおじいちゃんに自分から抱きついた事も、子供らしく大きな笑顔を向けた事もなかったから、なんだか気恥ずかしくて「ありがと」と小さな声で言って別荘の中にいるお母さんの元に走って戻った。おじいちゃんは、従姉妹全員に対して、それぞれのイメージに合った木を植えた。

そんなおじいちゃんが、私が中2の夏に急に倒れた。私は部活の試合中にお母さんからその連絡を受けた。次の大きな試合に進めるかどうかが決まる、大事な試合だった。もう、なんでこんな時に…そう思ったけどすぐにおじいちゃんが運ばれた病院に駆けつけた。

「もしかしたら一生目を覚まさないかもしれません」

しん、とした、そして凍えるような空気が流れる病室に冷静な医者の声が響いた。私は自然と涙が溢れて止まらなかった。でも、周りに居たおばあちゃんもお母さんも同い年くらいの従姉妹も、誰も泣いてなかった。あの時、皆驚きのあまり涙が出なかったのか、それとも大人だから泣かなかったのか今でもそれは分からない。そして、何故私の涙があんなに止まらなかったのかも。

私の木を植えてくれてありがとう。本当はとっても嬉しかったよ

おじいちゃんはそれから7年もの間、医者の言う通り、ベッドで寝たまま目を覚まさなかった。たまたまベッドの空きがあった郊外の病院に入ることになったおじいちゃんを、親戚の皆は交代でお見舞いに行って、「早く目を覚ましてよ」「また好きな日本酒飲むんでしょ」と今までよりほんの少し優しく話しかけていた。私は、旅行先では思い出した時には必ず御守りを買って、おじいちゃんのベッドサイドに吊るした。

でも、わざわざお見舞いに行った時も、いつもひんやりと冷たいおじいちゃんの手を無邪気に握りしめるのは少し照れ臭くて、私はおばあちゃんやお母さんがおじいちゃんの手を握って話しかけるのを1歩離れて見ていた。

今、おじいちゃんともう一度会えるなら。おじいちゃんが日本酒を飲んでる横で負けじと私もお酒が飲めるなら。

おじいちゃんに今まで優しく出来なくてごめんね、と謝りたい。おじいちゃんが寝てから起きたことを沢山話してあげたい。本当は私の木を植えてくれたことがとっても嬉しかったことも。

でも、そう思うだけで、もう一度会えたとしても、きっと少し照れ臭くて冷たい態度を取ってしまうだろう。それとも、お酒の力で少しはおじいちゃんに甘えられるかな。