「私を変えたひとこと」
このテーマのエッセイを書くにあたって、私は今まで人からどんな言葉を掛けられてきたのだろう、そう思って高校時代の部活の友達や後輩・先輩から貰った手紙を引っ張り出してきた。その手紙の中では、「明るくて面白い、本当に優しい、その笑い声で元気が出る」いろんな人が私のことを“明るい”と言ってくれていた。

友達も多くないし、容姿は醜いし…そんなことを思う卑屈で暗い子だった

私は人見知りで上手く友達を作ることが出来ず、部活の友達以外に友達と呼べる存在はいなかった。皆みたいに勉強も出来ないし(進学校だったため周りは皆秀才だった)、友達も多くないし、容姿は醜いし…そんなことを毎日思っているような、卑屈で暗い子だった。そんな高校時代は私の中でいわゆる“黒歴史”だったし、大人になってからも思い出したいと思えるようなものではなかった。

しかし、その手紙の中では友達から“明るい”と言われていた。手紙を貰った当時にそれをどう受け取っていたかは覚えていないが、大学生になって改めてその手紙を読んで、もしかしたら自分では暗いと思っていたけれど、周りからはそんなこと思われていなかったのかもしれない。自分の考えすぎだったのかもしれない。と、少し、いや、ものすごく心が軽くなった。本当に嬉しかったし、自分の高校時代が救われた気がした。

母親から返ってきたのは想像も出来ないような言葉だった

そして、嬉しすぎて、一緒に住んでいる母親に報告した。
「今皆からの手紙を読み返していたら、皆が明るいって言ってくれていたんだ。私、そんな自覚全くなかったんだけどね」
少し照れ隠しをしながらそう伝えた。そう言って、母親に何て言ってもらいたいとか、どういう反応をして欲しいとかは何も考えていなかった。ただこの嬉しさを誰かに言いたかった、それだけだった。でも、返ってきたのは想像も出来ないような言葉だった。

「社交辞令だよ、皆当たり障りのないこと言っただけ」

ああそうだ、この人はこういう人だった。私が子供の頃軽い気持ちで将来は女優になりたいと言ったとき、真っ先に母親の口から出た言葉は「恥ずかしいからやめなさい」だったし、私が就活中、とある有名企業の説明会に行くと言ったときは「絶対(そこに就職するのは)無理だよ」と言われた。
私は少しの夢を見ることさえ許されなかった。母親の言葉で何度も夢を潰されてきた。辛い思い出になってしまった高校時代を救う、というほんの小さな夢でさえ。

母親の言葉は「私をずっと縛り付けていくひとこと」でもある

きっと私をいい方向に変えてくれたひとことはたくさんあったのだと思う。20年以上生きてきて、いろんな人に出会って、私もたくさん変わってきた。たくさん変わってきたからこそ、きっかけとなったひとことは忘れていってしまったのだろう。私の夢を潰していった母親の言葉さえ、今日まで忘れてしまっていた。でも、母親のひとことに何度も夢を壊されたことはずっと忘れないし、これから先何か夢を持つ度に思い出すのだと思う。だから母親の言葉は「私を変えたひとこと」でありながら、「私をずっと縛り付けていくひとこと」でもあるのだ。

「友達が贈ってくれた明るいという言葉が、私の高校時代を変えてくれた」
そんな朗らかになるはずだった私のこのエッセイは、また、あの時のように卑屈で暗いエッセイになってしまった。