その時、激震が走った。

「阿合さんて、美人なんですね」

血は湧き、肉は躍り、だがマスクの下で口はポカンと開き、雪は盛大に舞った(午後から雪の予報だった)。先日のことである。
これは私の、尊厳と未来を賭けたエッセイである。

言葉とは、長いほど誠実で、短いほど切実だと思っている。言い訳が常に長ったらしく、命令がひどく簡潔であるように。
だから、一言で何かを言われるというのは、飾り気がない分、真実味を帯びているように感じるのだ。
……今、私はめちゃくちゃ長ったらしく話しているので、ここに誠実さと胡散臭さを感じている方は多いだろう。はい、言い訳です。
美人って言われてめちゃくちゃ嬉しくて、でも「こいつ傲慢だな」って思われたくないので、言葉という布を何重にも纏い、さも自分は慎ましやかで清純な人間だというように見せております。詭弁ですね、はい。

結露でメガネが曇り、メガネを外した時、事件は起こった

せっかくなので、これに至った経緯を話したい。自慢じゃないです。
そう……それはとんでもなく寒い日だった。何せ雪が降ったくらいだもの。
時間は午後5時。仕事の都合上、私は外出していた。キンと冷えた空気で鼻は感覚がなく、身体は返済が停滞した債務者の携帯電話が如く、ブルブルと震えている(実物を見たことはないけど)。

「今日、やっぱり寒いですね!」

ありきたりだが、皆の気持ちを今一番に代弁する言葉を述べながら室内に入った途端、それは起こった。

むわぁぁぁぁ……

メガネが、曇ったのである。
ご存知ない方も案外いるかもしれないので、メガネ歴20年であるベテランの私がお伝えしよう。
こちらの現象は「結露」といい、温度差が大きくなることで発生する、自然現象である。
寒い屋外から暖かい室内に移動した時、メガネは冷えている。
しかし人間は恒温動物なので、体内は温かい。体内から出た息も、もちろん温かい。
その息がメガネに付着すると、息の中にある水蒸気があっという間に冷やされ、液化して「水滴」となる。
そしてその水滴は光を乱反射してしまうので、メガネは曇るのである。
この知識、大変タイムリーで使い勝手が良いので、職場や学校で話題に困った時は是非どうぞ。

メガネが曇った時にやる行動第一位、それは「メガネを拭く」である。
例に漏れず、私もそうする。メガネ歴20年のベテランが誇るメガネ拭きは、もはや匠の技だ。具体的には、長袖をぐわっと伸ばしてガシガシ拭くのである。匠の技には思い切りとスピード感が大事。
メガネは裏表、両方拭かなければならないため、当然ながらメガネを外す。室内に入ってから、ここまでの所要時間は僅か10秒である(おそらく)。そして、事件は起こった。

外見にあまり気を遣わない つまり、褒められ慣れていない!!

「あ、メガネ外してるところ初めて見た」

職場の同僚だ。そして、

「阿合さんて、美人なんですね」

こうして、冒頭に至るのであった。
正直、この後の反応をあまり覚えていない。
「え~そうです? ありがとうございます~!」とチャラチャラ誤魔化したような気がする。内心バックバクだったが。

私、阿合英央。はっきり言いますが、美人ではありません。
そして外見にあまり気を遣ったこともありません!
つまり、褒められ慣れていない!!
それが、メガネを取っただけで褒められたのだ(確実に社交辞令)!!!
な、な、なんて平和な世界なんだ……。世の中、メガネを取っただけで褒められるのであれば、全員メガネを付けた方が良い……。
そして自己肯定感が揺らいだ時、それを外すと周りから無条件に「美しい!」「かっこいい!」「世界一!」と褒められることを当たり前にするのだ……。
これを思いついた私と、そのきっかけをくれた同僚はノーベル平和賞が授与されるであろう……。

言葉が自分に行動力をくれた

さて、そんな夢見心地を得たのが昨日。
今朝、メガネを掛ける前に、ふと鏡を見てみた。そうしたら髪はボサボサ、目はしょんぼり、口はカサカサ。これは確実に美人ではなかった。やはり昨日は何か魔法がかかっていたんだな……。

しかし、ここでションボリする私ではない。早速、美容院に向かったのだ。
あの一言は、今、私に行動力をくれた。
そういえば、コロナだなんだと見た目に気を使うのを忘れていたな。
美しくなること、美しいと言われることは、自分の背筋を伸ばすことに繋がったのだ。
よし、これからは私もたくさん周りを褒めていこう。きっと美人って言葉以外にも、誰かや自分の背筋を伸ばす言葉はあるはずだから。

あ、折角だから、まつ毛美容液とか試してみようかな~!
なんか、急に楽しくなってきちゃった~!!