どうして私は、みんなと違うことを思うんだろう。
幼い頃、私がよく感じていたことだ。良く言えば早熟、悪く言えば頭でっかち。私はそういう子どもだった。妙に落ち着いて論理的な思考をして、子どもらしい無邪気さに欠けている。

当たり前のように思い、考えて放った言葉は、上手く理解されなかった

今思えば、相当に可愛げがなかったことだろう。そういう子どもは、大人からは賢い子だとか手がかからない良い子だとか褒められるけれど、代わりに同年代の子どもからは距離を置かれることが多い。私も例に漏れずそうだった。いじめられていたわけじゃない。友だちもそれなりにいたと思う。だけれど、だからこそ、私はどうしようもなく悲しくなる瞬間があった。

「なに言ってるのか、わかんない」
幼稚園に入って多くの同年代と話すようになってから、頻繁に言われた言葉だ。“わからない”という言葉を、何人もの子に言われた。私が当たり前のように思い、考えて放った言葉は、どうやら周りに上手く理解されないようだった。
肯定でも否定でもなく、理解できないと返されるのは、少なくとも当時の私にとっては、あからさまに悪く言われるより心にくるものがあった。何かが喉につっかえて、少しだけ息が出来なくなるような感覚がするのだ。

そうして、たくさんの“わからない”を与えられるうちに、どんどん喉のつかえが降り積もって、声が出せなくなっていった。子どもらしい天真爛漫さを持ち合わせていない上、言葉数まで少なくなってしまって、これはもう救えない。子どもにとって、そんな人間はつまらないとしか言い様がないのだから、それは当然のことだった。

母の与えてくれた答えは、気が抜けるほどシンプルだった

ある日、ついに友だちを酷く怒らせて、けっこうな喧嘩をしてしまった。正直、内容はあまり覚えていないけれど、自分が傷ついて身も世もなく大泣きしたことは記憶に残っている。
恥ずかしながら、既に小学校に上がってからのことだ。それだけ泣いた後の顔で家に帰れば、親に事情を聞かれるのは必定だった。そのとき初めて、私は自分でも理解しきれていない己の感情と他人の反応について、母に伝えた。
実を言うと、私はこのことを母に話すのが少し怖かった。私の両親は、私が幼稚園に通っているうちに離婚してしまって、母はシングルマザーとして私を育ててくれている。女手一つでこんなに出来た子に育てて、すごいですね。そうやって母が褒められるのを、それを聞いて嬉しそうにする姿を、幾度となく見ていたのだ。
どうして私の考えることはわかってもらえないの、なんて幼稚な思いは幻滅させてしまうだろうか、とか、歳の割に無駄によく回る頭で、色々なことを考えていた。だというのに、母の与えてくれた答えは気が抜けるほどシンプルだった。
「それはね、あなたが天才だから」
そして、かなり突飛でもあったと思う。

天才。他人に言われたことは何度かあった。でも、母にそう言われたことは一度もなかった。言葉の含意がよくわからなくて疑問符を浮かべる私に、母はこう話してくれた。
「あなたが言うことをみんながわからないのは、みんなにはちょっと難しい言葉だからなの。あなたは本が好きだから、言葉をたくさん知ってるでしょ?それで、みんなの考えてることがわからないのは、あなたが聞かないからだよ」
わかってみれば、馬鹿らしいほど簡単なことだった。
母いわく天才の私の頭は、少ない言葉でしっかりと己の間抜けさを理解してくれた。否定されたわけではないのだ。みんなはただ、本当にわからなかっただけ。わからないと伝えることで知ろうとしてくれていたのに。
変なところで繊細な私が、わかってもらえないことに傷ついてちゃんと説明をしなかった。でも、だって、仕方ないじゃない。喉がつっかえて、息が出来なくなるんだもの。
そうやって言い訳する私は、当時も今も存在する。しかし、振り返ってみると本当に馬鹿だったとしか言い様がないのだ。

やりたいのに出来ない。そんなとき「天才だから」と母は決まって言う

母に答えを得てから私は、みんなに気持ちや考えを説明する努力をした。知らない言葉は、なるべく簡単な言葉に言い換えて説明してあげる。必要なのはそれだけ。声を出して、言葉を尽くして伝えること。本当に、ただそれだけだったのだ。
そうした結果、笑えるほど多くの子に私の言うことをわかってもらえるようになった。相変わらず、“わからない”とはよく言われたけれど、その後で“わかった”と言ってもらえる。
早熟とはいえまだ幼い語彙では、どうしてもわかってもらえないこともあった。でも、それは伝わっていないだけで理解できないわけじゃないと思えば、もう息は苦しくならなかった。

「あなたが天才だから」
成長していくにつれて、天才なんて褒め言葉は気恥ずかしく感じるようにもなったが、母は今でもよくこの言葉を使う。私が何かに躓いたとき、思い悩んでいるとき、悲しいとき。特に、何かをやりたいのに出来ないと思っているときは、決まって母はこう言った。
「あなたは天才だよ。大丈夫、絶対できる」
そう言われると、驚いたことに大抵のことは出来るようになってしまうのだから面白い。
私も成人して大人になったけれど、母の言葉は相変わらず偉大である。いつだか母が言っていた。曰く、強く思い込めば本当にそうなるものなのだと。
たしかに、母のそれはさながら魔法のように私を変える。思い込みってのも、悪くはない。