日々の仕事に忙殺され、休みの日ですら職場からの電話を恐れていた頃、S N Sには「好きなことを仕事に」と言う魅力的な言葉が溢れ、実現した人たちのキラキラした生活は、私の生活の影を一層暗くした。

夢を叶えた妹たち。これが好きを仕事にするということか

去年、新卒から勤めた場所を3年働いて辞め実家に帰った。
ワーホリにでも行って好きなことをやろうと考えていたが、自分がやりたい事は一向に見えてこない。

そんな時、実家で一緒に暮らす4つ下の妹の働きぶりを見た。
専門学校を卒業して入社2年目。まだ21の妹は会社の中だけでなく、その分野で自分の存在を大いに発揮し、輝いていた。

私には4つ下の双子の妹たちがいて、2人は同じ職種についている。
もともとJリーグが好きでサポーターとしてチームを追いかけ回していた妹たちは、Jリーグで働くための学校へ行き、2人ともその夢を叶えた。
ただのいちサポーターだった彼女たちが、今度はチームを支える側になった。
当時の妹たちのようにチームを応援するサポーターたちの声を選手へ届けている。
これが好きを仕事にするということか、と感慨深くなった。

ただ、それは決してただ楽しいだけの仕事ではない。
シーズン開幕直前や終盤はイベントやグッズの準備に追われ、7時に家を出て日付を超えるギリギリに帰ってくる。家に仕事を持って帰ってくる日も珍しくない。かと言ってお給料が特別言い訳でもない。
いわゆるブラック企業と言ってしまえばそこまでだが、それでも彼女たちは楽しそうに仕事している。

きついことや思い通りにいかないことを会社のせいにせず、自分の好きなことに向かって一途に突き進む妹たちが姉として誇らしく、同時に羨ましくなった。

肩書きや給料、これが私たちを縛っている鎖なのでは

わたしもそんなふうに働きたい。
もう一度自分のやりたいことについて考えてみた。
私が学生の頃から変わらず持っているのは、誰かを助けたいって言う気持ち。
特に若い世代。小さな子どもたち。自分と同じように世間の常識と戦う女性たち。

学生の頃、アルバイトでしていた塾講師。
本題の授業より、中高生の悩み相談に乗る方が楽しかった。
自分もたくさん悩んで苦しんできたから、同じような思いを抱える子たちの力になりたいと考えていた。
社会人になり忙しさで忘れていたそんなことを思い出した。

「働く」「仕事をする」と言われると、つい肩書きや職種を思い浮かべる。
私は医療の分野が専門なので、「医師」「看護師」「薬剤師」といった肩書き。あとはお金を得ること。働く=給料。
これが、私たちを縛っている鎖なんじゃないかとふと思った。

働き方の道は一つではないし肩書きも一つである必要はない

確かにそういった分類は存在するしお金がないと生活できない。
でも本当に必要なのは、自分が「何を成し遂げたいのか」を明確にすることだと思う。
これがないと、どこへ行っても、何をしても、何になっても、どれだけ稼いでも、私は働くことに対して結局満足できない。
逆に自分の成し遂げたいことが明確であれば、肩書きは関係なくなり道は広がる。
働き方の道は一つではないし肩書きも一つである必要はない。
そう気づいたら、働くことが楽しくなった。
それと同時に、働くということがお金を得る手段以上のものになった。

フェミニストとして女性を当たり前の重圧から解放したいから、取り敢えずかがみよかがみにエッセイを投稿しまくる。
世界中の人の健康を支えたいから、医療に携わる。
今の私はフェミニストの医療者でかがみよかがみのエッセイスト。

働くこということは私の人生そのもので、働くことで私は、ますます輝きを増していく。