私のお母さんには右眼の付け根に大きなほくろがある。
当たり前だけれど、私は産まれてからずっとほくろのあるお母さんの顔を見ていたから、それが変だとか嫌だとか思ったことなんて一度もなかったよ。
お母さんの顔の一部としてほくろがあるのは家族にとって特に何も思わない自然なこと。
でも、本人は多分結構気にしていたんだと思う。

幼稚園の頃母の似顔絵をよく描き、当たり前にほくろも描いていた

幼稚園の頃、よく母の似顔絵を描いていた。
もちろんほくろも当たり前のように描いてたなぁ。
幼い子どもはよく観察していると思う。よく観察して、見えているものを全部描く。
良くも悪くも単純だった。
わたしの当たり前が他の人にとっての当たり前と同じだと思っていた。
だから、母が大きくて真ん丸なほくろのことを気にしているなんて微塵も思わず、何枚も何枚も描いては母に見せに行った。
上手だねってほめてほしかったし、喜んでほしかった。大好きだから、ただそれだけ。

一度だけ、何でお母さんには大きなほくろがあるの、と聞いたことがある。
その時母は何も言ってくれなかった。そのあと静かに涙を流したのを今でも覚えている。
泣きながら、ただ一言、あなたに遺伝しなくてよかった、と言われた。
もうかれこれ20年以上前の記憶、今でも鮮明に覚えている。
人の悲しみに直に触れてしまった感覚。

今ならわかる母の気持ち。私はコンプレックスに向き合うため整形した

大人になった今はあの時のお母さんの辛さがわかる、と思う。
お母さん、私は成長するにつれて容姿がコンプレックスになってきて、自分の愛せない部分が増えたよ。
生まれ持ったままの姿でずっと生きるのは私には難しかった。
結局耐えられなくなって整形したの。
ちょうど5年前、クリスマスイブに。自分がアルバイトで必死に貯めた貯金を使って人生で一番高いクリスマスプレゼントを自分にあげた。
ただの二重整形、それも切開とか「ちゃんとしたの」じゃなくて埋没。
もとの瞼が重すぎて瞼の脂肪吸引をしないと手術できなかった。
誰よりも変わりたいはずなのに、いつでも戻れるように埋没にした。
貧相な顔面の、他のパーツから浮かないように奥二重を希望した。
当たり前だけれど、整形してもやっぱりそんな劇的には変わらなかったよ。
ダウンタイム中の痛々しい瞼を見せてごめんね。
お母さんは泣いていたけれど、それでも私のコンプレックスとの向き合い方を感じてほしかった。
それでも今まで通り受け入れてほしかった。

変える、変えない、どんな努力も決断も悩んだ私たちにしかできない

見た目は大きく変えられなかったけれど、それでも前よりちゃんと笑えるようになったよ。
整形から数か月たった後、お母さんが冗談まじりに、私もこの「できもの」とっちゃおうかなー。といった。
あの時私は、
「そんなこと言ってるけど、何だ、もう全然受け入れちゃってるやん。なんならそこにあって然るべきやと思ってるでしょ」。
って勝手に嬉しくなってました。
ごめんね(笑)。

変えるのも、変えないのも、どちらも努力が必要で、どんな決断も悩んだ私たちにしかできなかったことだと思う。
お母さん、私の描いた似顔絵は、昔のあなたにとってコンプレックスを自覚させる呪いだったのかもしれないね。
でもずっと、お母さんのほくろは仏様とお揃いで、だから誰よりも優しくて温かい人なんだなって思ってたよ。
だからこれからもずっと、そのお母さんの顔が大好き。
いつだって言葉の足りない娘でごめん。これからも末永くよろしく。