たまに、世界に忘れ去られているんじゃないかって不安になる。去年の春に緊急事態宣言が出され、そこから私の仕事はぱったり無くなってしまった。

私の仕事はフリーランスの音楽家。演奏の依頼があれば、楽器を担いで西へ東へ、離島でも雪国でも駆けつける。出来れば、美味しい飲み屋がある場所がいいな。美酒と肴が私の演奏の起爆剤なので。

仕事のないフリーランスは、世の中に求められていないの?

コロナ禍で、同業の知人たちは仕事の場をYouTubeに切り替えて、「これからのフリーランスは、人と会わなくても収益を得られるようにならなくちゃ」なんてSNSに書く人も出始めた。録音機材の蘊蓄を語り出した友人たちの投稿を見ていると、1年もあれば人は新しいことを身につけられるってことがわかる。

正直、焦る。

状況に適応できるフットワークの軽さ、羨ましい。私はといえば、空いた時間で新しい曲の譜読みに没頭してた。お金発生してない。

そりゃ私だって、可能ならばお金が欲しい。再生回数が多い動画を作って利益が得られたら、世の中に自分の居場所が作れるかなって思う。この社会では、お金を多く得られることが、すなわち世の中で必要とされている度合いが高いことを意味する。仕事のないフリーランスは、世の中に求められていないのかも。

とまあ、こんな不健康なことをつらつらと悩む時間だけはある。

でも、何かが引っかかる。私が音楽を奏でるのは何のため? なぜ私は演奏の仕事をしているんだろう? 真っ暗な電子空間に向けて音を紡ごうとすると、そんな問いが私を包む。それの答えが見つかれば、私は私の軸を見つけ出せる気がするのに。

音楽家の私がコロナ禍でできることってなんだろう

そんなことを考えていた時に、幾つかリサイタルの話をいただいた。当時は人々の往来が戻りつつあり、エンタメ業界も対策を重ねて演奏会を再開している時期だった。こんな中でも、演奏を聴きたいと言ってくださる方がいることに、胸がいっぱいになる。

けど、コロナ禍の状況は変わらない。闘病する人がいて、医療現場は逼迫している。
私がこの時期に出来ることってなんだろう。

考えていくうちに、去年の2月、緊急事態宣言が出されるかどうかの瀬戸際で立った舞台のことを、思い出した。

日本に感染症が持ち込まれ、じわじわと感染が広まる中、開催を危ぶみながらも始まった舞台。私は、ユダヤの哀歌の旋律を使った曲を弾いた。涙がはらはらと溢れるような途切れ途切れの半音階の旋律の後に、慟哭のような低い音域の和音が続く。

和音の響きの余韻の中でふと顔を上げると、客席の暗がりで顔を覆っている人がいた。舞台から客席まで何メートルも距離がある中で、彼女の嗚咽が聴こえた気がした。深い悲しみを経験したことある人だと思った。百年以上も昔の曲が、時空の狭間でその人の心と共鳴しているのが見えた。

でも。私は彼女の悲しみを掬い上げようと深く息を吸い、今までで一番澄んだ音色を奏でるべく身体の緊張を解き放った。

私は演奏することで、人と深く繋がりたかった

ほら、この作曲家は嘆くような旋律のあとに、これほどまでに美しい展開を用意している。私は、雨上がりの空が澄み渡って一陣の風が吹いたようなこの展開が大好きなのだ。だからあなたにも聴いてほしい。ひとりで練習していた時、どうしても思うように表現できなかった旋律が迫ってくる。その場所が来た時、私はふわっと身体が自由になってその音を出すことができた。

私はその時、人と人の想いを結びつけたんだと思う。それはもしかしたら世界にとっては取るに足らないものだったかもしれないけれど、私は知っている。それが、何物にも代え難い時間だったってことを。

私が仕事に求めていたものは、利益ではない。対価だったのだ。対価とは、自分の差し出したものと、相手の大切なものを交換する行為。私は演奏することで、人と深く繋がりたかったのだ。

よし。

私はリサイタルの曲選びを始めた。私が願うことは、失われる日常の中で人と人の心の結びつきを忘れずにいること。そのために私の仕事を、しよう。