2020年はとても奇妙な年で、世界中の多くの人は、新種のウイルスの台頭によりお家に閉じ込められていた。
人々は、体温の交歓を制限され、歌う場も奪われ、門出を寿ぐことすら大っぴらに出来なくなっていた。
そんな中で私はというと、日がな一日赤子に乳を与えながら、矩形に切り取られた空を見上げたりスマートフォンで動画配信サイトをザッピングしたりしながら過ごしていたのである。

演奏活動の復帰が遅れる悲しみも、日々の育児に紛れて浸る余地もなし

音楽家である私は、3月まで演奏活動を行った後、5月に子供を産み、7月には復帰予定で準備をしていた。それがコロナ禍で2月以降の本番の予定が見事に吹っ飛び、復帰も大きく遅れた。
その悲しみも、日々の育児に紛れて浸る余地もなし。目の前の赤子が泣き叫ばぬよう、とにかくずっと抱いたまま、仕事を終えた夫と協力しながら沐浴をこなし寝かしつけを行い、家事を片付けることで精一杯。日々の会話はタスク処理のための業務連絡。新生活にと揃えた可愛い洋服は乱雑に仕舞われるようになり、授乳用の服は乾きが悪いからとユニクロのくたびれたTシャツを着るようになった。
家族が健康に笑い合いながら暮らすことすら、危ぶまれるような世界線に来てしまったのだから、しょうがない。緊急事態なんだ、名実ともに。

眠い目を擦りながら、昼夜問わずいつ終わるともしれぬ授乳時間を過ごす。少しでも世界と繋がっていたくてTwitter。気が滅入るとNetflixでドラマの世界に現実逃避。お散歩にもってこいの天気とうらはらに人の往来の気配が感じられぬ昼下がりも、遠くに見えるマンション群の灯りのどこかに私と同じようなお母さんがいるかもしれないと気持ちを奮い立たせていた真夜中も、数週間が経ち赤子の哺乳が落ち着き、穏やかに眠るようになると、幻だったと思えるほど非現実的な記憶だ。でもあの時の出口の見えない苦しみの手触りは、今でも鮮やかに思い出せる。

1ヶ月以上音楽を聴いてなかった。最初に出た曲をタップし目を閉じた

その午後は、「愛の不時着」の最終話を見終えたばかりだった。大きな流れの物語を閉じると、ふぅっと息をつきたくなる。朝も昼も夜も画面に釘付けだったので、目を休ませたかった。赤子はまだ私の乳首に吸い付いている。Bluetoothに接続してあるスマホをいじり、Spotifyを開いた。子供を産んでからこのアプリを開くのは初めてだったから、1ヶ月以上音楽を聴いてなかったことになる。あらまぁ、と思いつつ、最初に出てきた曲をタップして目を閉じた。
ブラームスの交響曲第2番。冒頭を聴けば脳裏に浮かぶのは数年前に過ごしたアルプスの雪山の景色。目が焼けるような白い地面と真っ青な空、頬を撫でる冷たい風。
やがて始まるチェロのメロディ。その響きを聴いた瞬間に、私は自分が心の底に仕舞い込んだ気持ちが、閉じ込めていた箱を内側から開いて飛び立つのを感じた。慣れない抱っこで固まった背中に、一陣の風が吹いた。

遠ざかっていた世界が、急速に目の前に組み上げられていった

失われた時間、閉ざされた舞台。それらから目を逸らして、執着を覚えないようにするのは容易かった。悲しんでいる暇があれば眠りたかった。生活を回すことに必死になっていると、舞台が急速に遠ざかるのを感じたが、引き止めようもなかった。
その遠ざかっていた世界が急速に目の前に組み上げられていく。ブラームスの堅牢な建造物に近寄って触れてみると、その壁肌は柔らかく、登った先で見える景色は視界の果てまで続く広い空。そこをどこまでも飛んでいく大きな翼を持つ鳥。
私はポロポロと涙が溢れ、赤子の頬に落ちるのを止められなかった。
嬉しかった。
美しい音楽を聴き、それを美しいと思える心がまだ残っていたことが。かつて知人が言った「芸術を美しいと思う時、そう思う自分の心もまた美しいのです」という言葉を思い出し、私はまだ自分が美しい世界の一部なのだと信じることができた。
想像力は鳥より高いところを飛んでいける。その翼があると信じる限り。
全ての事象が遠ざかるばかりの毎日だと思っていたけれど、気がついていないだけで音楽は隣に寄り添っているし、その美しさに心を震わせられる限り私は生きていられるのだ。