二十歳を過ぎてから親に「あの時はね」という話をされる機会がぐんと増えた。昔の言葉の真意、意図的に隠されていた事実や当時の出来事。精神的に熟してきたから話してもいいだろうと判断してるんだろうなと思っているし、大人の仲間入りをしたみたいで嬉しかった。
「あの時ね」
二十歳超えて割とすぐの何でもない休日だったと思う。あやふやだけど、言葉だけははっきり覚えている。

「あなたのお父さん、あなたのこと、お母さんとよりを戻すための道具みたいに思ってたんだよ」

結局私は切り捨てられるような存在だったんだ、と思った

うちは母がバツイチ。私には血の繋がった実父と、血の繋がっていないけれど過ごした時間はうんと長い養父がいる。
血の繋がった父親は暴力も暴言もない代わりに家族で出かけても一緒に遊んではくれない人だった。両親が離婚して一年間だけ、父親と一緒に過ごした。父親の実家に転がり込んで過ごした一年間の思い出は「お母さんがいないこと」でハブられたことの方が強い。
私が携帯を持つようになると連絡をたまにして、何回か会ったんだけれど所謂「父親面」をしてきてそれがすっごくウザかった。今は年に一回、新年の時にメールで挨拶するくらいの距離感。

だから正直言うと、言われてすぐは「そうなんだ」としか思ってなかった。
妙に記憶に残るな、って、そのくらいの感覚だった。
突然その言葉がすとんと心の底に落っこちてきたのはそれからどのくらいたってからだろう。親友だと思っていた子が彼氏を作ってから一切連絡を自分からよこさなくなった頃だと思う。
「なんだ、結局私は切り捨てられるような存在だったんだ」って思っちゃったことがきっかけ。
「あ」ってあの時母から送られた言葉を思い出した途端、それはガンッて突然私の心をぶん殴ってきた。すごく驚いた。だってすごく痛かった。

心の底で「どうかこんな私でも愛して」と願った

私は娘じゃなくて道具や手段の一つだと思われていたんだって事実が、そのままの言葉じゃなくて「お前は娘として愛されてなかったんだよ」って真意として伝わってきてしまった。同時に初めて母親を恨んだ。どうして私にその言葉を告げたのって、ボロボロ泣きながら思った。今更のことだったから、本人に直接は言えなかった。

「実の親にさえ、本来の関係性として愛されない私のことを誰が愛してくれるんだろう」
その考えが私を支配するようになった。今までの私はなんやかんやで愛されている方だと、恵まれている方だと思っていた。でも違ったのかもしれない。私の勘違いだったのかもしれない。そう強く思うようになってしまった。

上っ面だけだと思った人の縁は全部切った。色々なことが信じられなくなった。おっかなびっくり人との縁を結ぶことが増えた。顔色を過剰に見ることはやめたはずだったのに、その癖は見事に復活した。
心を許しているはずの友人にさえ、内心冷や汗かいてドキドキしながら今日も私は表情で笑う。心の底で「どうかこんな私でも愛して」と願いながら、「でもいつかこの人も私を私としては見てくれなくなるのかもしれない」と思う。相手にも失礼なことだから、罪悪感もひどい。

なんで私だけこんなに傷付いているんだろう

母は再婚して子を授かった。父親が違う年の離れた妹はかわいいけれど、愛されて素直に育つ彼女は今日も私のコンプレックスを刺激する。
血の繋がった父親も再婚して子は設けず二人でのんびり生きる道を取っている。今年のメールには引っ越したばかりの新居から見える綺麗な海の写真が添付されていた。

二人ともが前に進んで明るい未来にたどり着き、心穏やかに生きている。どうして私だけが今更前に進むことを恐れるような言葉で傷を付けられてしまったんだろう。なんでこんなに傷付いているんだろう。
呪いの言葉だ。一生付きまとうかもしれない。そんなことに今も恐怖している。