「おはようございます」
出勤して挨拶をする。
「いらっしゃいませ、お預かりします」「ありがとうございました、またお越しくださいませ」
「お疲れさまです」
退勤し、バイト仲間と喋りながら帰路につく。最近は毎日がこの繰り返しだ。

私はなぜ働いているんだろう。大学生活のかたわら、とはいえこのコロナ禍においてはフリーターのように。
メインのアルバイトはドラックストアだが、1ヶ月シフトがネックであったため、1週間シフトのコンビニも始めた。
9時から13時までコンビニ、14時から23時まではドラックストアで働いたり、6時から9時でコンビニで働き、オンライン授業を受け、17時から23時まではまたドラッグストアで働いたりする日々だ。

そんなこんなで、用事のない限りアルバイトをたくさんする私。
そんなことを聞くと暇つぶしで働いてるのかと思うだろう。概ね間違ってはないかもしれない。やらなきゃいけないことがたくさんあるのに、馬鹿みたいにシフトに入る。幼少期から毎日習い事をしていた私は、スケジュールに予定のない日々を嫌い、避ける。なんだか、自分が頑張ってないように思うのだ。
まあ、夜に働くと家にいる時間が減りダイエットには最適だ。帰宅後に食べないという自分に厳しい心を持っていればの話だが。

大学に通えず、ただ家で過ごしている私は何者なんだろう?

大好きなアイドルのコンサートに通うためのチケット代・グッズ代・交通費・服・化粧品。これが私の働く原動力であり働く理由だった。
しかし、アルバイトに行かず、家で自粛してる期間に気づいた。
「私って何者なんだろう」
本来のように大学に通っていれば、〇〇大学の私、という肩書きを日々実感する。大学に通えず、ただ家で過ごしている私は何なんだろうかと。

働いていない期間に気づく。アルバイトに行けば、社員さんパートさん、バイト仲間、私の身内で溢れている。アルバイト先は私の社会的な居場所だった。
そして、さらに気づく。働くとは、自分の居場所を作ることなのかと。
振り返ってみればこれまでの大学生活、何だか違和感を感じることが多かった。高校生活を懐かしむことも多かった。
私は確立された自分の居場所があることを好むのだ。

居なくても気づかれない大学。
「最近いないから辞めちゃったのかと思いましたよ」バイト先の常連さんに言われた。
私が働く理由。もちろんお金を稼ぐという理由は大前提である。しかし今の世の中、働かなくてもお金を稼ぐことはできるだろう。
私は私の居場所を作るために働くのだ。私が私を私として認められるように。
就職活動真っ只中の私は、そんな素敵な居場所を見つけたい。