高校2年の春。母が家を出た。
姉二人、妹、私、父、そして母。6人家族だった。家はそこまで裕福な方ではなく、共働きの家庭だった。中学2年のときだったか、3年のときだったか、そのくらいに母は勤めていた保険会社を辞めた。そのときに新たに始めたのは、"『水』とかを売る仕事"だった。私はそれがどういうものなのかよくわからなかった。ただ、前より母が家にいて、前より母が少し楽しそうに見えたから、これでいいんだと思った。

母は、何にでも『水』を使い、少しずつ家事をしなくなっていった

でも、少しずつ、「これでいいんだ」とは思えなくなっていった。

母は、何にでも『水』を使った。お米を炊く時はもちろん、料理に使う肉も『水』につけてから使った。さらには、お菓子の袋にも霧吹きで振りかけた。袋の上からかけても『水』の効果はあるらしい。
母の話によると、「塩味がマイルドになるの」とのことだ。どうやら、私の味覚器は母のものより精密ではないようだ。一度、母には黙って水道水でお米を炊いたことがある。母は『水』の時と同じように美味しそうに食べていた。
「お前もわかってねぇじゃん」。

母は少しずつ家事をしなくなっていた。父は仕事。姉2人はバイトやら大学やらであまり家にいない。妹は当時小学生で正直頼りない。というわけで、気がついたら、当たり前のように私が夕飯を作っていた。片道1時間かけて学校に行って、部活までしっかりやって、1時間かけて帰って、夕飯を作る。部活で疲れていようが、テスト前だろうが関係ない。しっかりと腹が減るように人間の体はできている。私が一生懸命作っているのを横目に、母はスマホをいじっていた。出来上がっても「だって『水』、使わなかったでしょ」という理由で食べようとしなかった。「じゃあ、自分で作れよ」。


母は、赤色の蓋の塩を「これはね、石灰が入っているんだよ、毒なんだよ」と言った。
たしかに、裏の原材料名を見ると、天日塩の他に、"炭酸マグネシウム"とある。私は授業で石灰は、"水酸化カルシウム"だとか、"炭酸カルシウム"だとか、そういうものだと習った気がする。母の時代では違ったのだろうか。母が出て行って1年以上経つが、未だに母が「これは、毒だ」と言いながら買った赤色の蓋の塩が5本以上ある。
「なんで毒をそんな買い込んでんだよ」

「あぁ、もうお母さんは戻って来ないんだ」

そんなこんなで、母のおかげで塩貴族になった我が家は、『水』と引き換えに、お金と暖かい安心感を失っていった。当然だ。母がやっている"『水』とかを売る仕事"はとにかく出費がすごい。物々交換をしていた時代だったら、本当に貴族だったんだろうけど、残念なことに、現代社会では"お金"というものがないと生きていけない。世の中には「お金じゃ幸せは買えない」なんて言葉がある。確かにそうだ。でも、"お金の余裕"と"心の余裕"は密接に関わっている。毎日電話が鳴り、借金と同時に、家族のストレスは溜まっていっていた。

母が家を出る少し前。
「お前が家族を苦しめてるんだよ。いい加減気付けよ。早く『水』なんか捨てちまえ。捨てないならこの家にいる資格なんてない」
生まれて初めかもしれない。母に本気で怒った。"『水』とかを売る仕事"に関係するものを全て捨てた。
『水』を知ってから変わってしまった。あの頃のお母さんに戻って欲しかった。
喧嘩をしたまま学校に行き、帰ってきたとき、母に言われた。
「あそこまでする必要ないでしょ!お母さんはみんなのためを想って働いてるの!借金を減らすために頑張ってるの!」

「あぁ、もうお母さんは戻って来ないんだ。もう2度と会えない、遠くへ行ってしまったんだ」

あの頃のお母さんへ。『水』を知る前のお母さんへ

1年経って、考える。きっと、母の「みんなのためを想って」という言葉に嘘はなかったのだろう。でも、あのときの自分は、母が憎くてしょうがなかった。母を唆す『水』が憎くてしょうがなかった。
今になって、考える。きっと、あの頃のお母さんには、仕事を辞めてまで『水』を売るだけの理由があったのだろう。そうせざるを得ない心理状態だったのだろう。
きっと、そうだ。そうなんだ。

お母さんが働いて、家にお金を入れることが当たり前になっていた。
お母さんが働いて、夕飯を作ってくれることが当たり前になっていた。

あの頃のお母さんへ。『水』を知る前のお母さんへ。
「ご飯作ってくれてありがとう」が言えなくて、ごめんなさい。
「一生懸命働いてくれてありがとう」が言えなくて、ごめんなさい。
私たちは、あなたがいなくてもなんとかやっています。少しだけ、強くなりました。だから、安心してください。
これを書いて私も、あなたから、母から、少し、自立できる気がする。
今までありがとう。そして、ごめんなさい。