わたしには去年結婚したばかりの夫がいる。仲良しで、互いを尊重する関係を築けていると思う。

その夫は、わたしの性格や能力をちゃんと言葉にして評価してくれる。おかげでわたしは自分の長所を客観的に知ることができ、自分をよく愛せている。だけど夫は、わたしの顔や身体は褒めない。かわいいとも、綺麗とも言わない。

好きな人に褒められたエピソードは素敵。でも……

表情やしぐさのことを「かわいい」と言うことはある。だけど顔や身体のルックスについては、良し悪しの評価すらしない。評価しないのだから当然、褒めることも、貶すことも全くない。

かがみよかがみのエッセイを読んでいると、好きな人にルックスを褒めてもらったことでコンプレックスの呪いが解けたエピソードに何度か出会った。素敵な話だと思う。だけど、わたしの体験は逆だ。
大切な人からルックスに全く言及されない、今の状況。それはわたしにとって、ものすごく居心地が良い。

かつての恋人たちは、わたしの顔を「かわいい」と褒めることがあった。それに、わたし自身もそれを求めていた。褒めて、認めて、自信を持たせてほしかった。当時のわたしは、そういう好きな人からの褒め言葉がわたしの心を強くしてくれると思ってた。

「顔がかわいい」という褒め言葉にしがみついていた

だけど、化粧した顔を褒めてもらってるうちに、だんだんすっぴんに自信がなくなった。20歳頃のわたしは、すっぴんで人前に出られなくなっていた。友達と温泉に行っても、すっぴんが嫌で顔を洗わなかった。
それから、こんな不安もあった。人間の顔は加齢でも少しずつ変わっていく。事故などで急激に変わることだってありえるだろう。そんなときルックスを褒めていた恋人はわたしの何を見るのだろう?

「顔がかわいい」という褒め言葉を集めて、それにしがみつきながら、裏腹にわたしは不安を積み重ねていた。
20代前半で同棲した彼氏から、同年代の女性たちと比べて見た目への努力が足りないと苦言を呈されて、つらい思いをしたこともあった。「他の人はもっとちゃんとしてるよ」と。

そうした不安やつらさと一緒に、わたしは、ルックスに降り注ぐ他者の視線をどんどん内面化していた。良い視線も、悪い視線も。10代頃からずっと、それは凝り固まって自分の中に居座っていた。

誰かのジャッジに怯え続けなくていい

今、わたしはその苦しみから解放されている。すっぴんで出かけるし、SNSにすっぴんの自撮りを載せる。丁寧に化粧をすることもあるが、自分のためにしてるだけ。顔というパレットに自由に色を伸ばす感覚が楽しい。

一番側にいる大切な夫が、わたしの顔や身体の造形をなんとも思っていないこと。もしかしたら思っているかもしれないけど、少なくともそれをわたしに伝えないこと。このことが、わたしを強くしてくれている。わたしを強くしてくれたのは、「かわいい」の言葉じゃなかった。むしろ逆だったんだ。

「かわいい」と言わない夫といる時間は、自分のルックスに降り注ぐ視線のことを忘れさせてくれる。わたしの肉体も、ルックスも、わたしだけのもの。誰かのジャッジに怯え続けなくていい。その大切なことがようやく解ってきた。それでも内面化した他者の視線に惑わされることもあるけど、すぐに振り払えるようになってきた。

好きな人に「かわいい」と言われると救われる人もいて、言われないことで救われる人もいる。わたしの場合は後者だった。夫のおかげで、そのことに初めて気づいた。

今、人生のパートナーである夫と、こうして心地良い関係を持てていることが嬉しい。このエッセイを一番読んでほしい人は夫だ。わたしの内面を愛してくれて、ありがとう。ルックスをジャッジしないでくれて、ありがとう。明日からも、健やかで愛に満ちた二人でいようね。