わたしはヌードモデルに応募しました。
自分の見た目に自信がある?いいえ。
やせていて、胸が全然ない体。顔もパッとしません。
でもいいんです。やってみたかったから。

わたしが勇気を出すきっかけになったのは、とあるランジェリーショップの方のことばでした。とはいえ、ランジェリーに興味があるというわけでもありません。そもそもわたしはブラジャーを着けていませんでした。
胸のサイズはAカップより下のAAカップ。下着売り場に行っても、自分に合うサイズがありません。Aカップでもお釣りが来るというのに、店頭には大体Bカップからしか置かれていないのです。

胸がなさすぎて合うものがほとんどない自分には、「そんなもの必要ない、お呼びじゃない」といつも言われているような気がしました。「女じゃないんだから」と言われているような。
売り場でパカパカの下着を着けながら悔しくて泣きそうになり、下着売り場にも行くことはなくなりました。まれに着けられるものもありましたが、当たり前のように買っていく人たちを横目に合うものを探す気持ちにすらなれず、下着を買うことをやめました。

「直線の体でも、セクシーになれる」

20代も後半になったある日。
ふとInstagramをみていたらとても素敵なモデルさんが下着を着けている写真が目にとまりました。その人はランジェリーのお店をやっていて、ショートヘアでまっすぐな体つきで堂々としていて、わたしはふとそのお店を訪ねてみることにしたのです。
お店では変わったランジェリーを扱っていました。フェティッシュなデザインだったり、バストトップが透けるようなものも。
補正しない、隠さない下着って着ける意味があるんだろうかと思ったわたしは、おもわずその人に質問してしまいました。「これ…つける意味あるんですか?」
不躾な質問をしてしまったのにも関わらず、その人はやさしく、このような話をしてくれました。
「ありますよ。胸を大きく見せたり補正したり、盛ることだけが役割じゃないんです。こうして体の上に線が入ることで、とても魅力的にうつります。どんな体でも、どんな年齢でも」
わたしは言いました。
「自分は胸がなくて、女性らしい魅力もない。下着を着けるのがいやです」と。
その人は言いました。「直線の体でも、セクシーになれる」と。
その人はまた、これまでの「ランジェリーはグラマラスな体型の人のもの」という認識を変えたいとも言っていました。実際その人はとてもセクシーで、きれいでした。
大多数の意見に迎合している人に「あなたにもいいところがある」と言われても心に響くことはありませんでしたが、「直線の体」でランジェリーを売っているその人のことばと姿勢に、なんだか勇気付けられるものがありました。いきなり不躾な質問をしてしまうほど頑なだった心が、少しだけほぐれたような気がしました。

憧れるのは、日々挑戦をしている人だった

わたしはそのことばを持ち帰り、幾日も反芻しました。
そしてあるとき気がつきました。居場所がないことに対して声も上げず、ただ不満ばかり言っている自分に。

自分に合うものや場所が用意されていないからという理由で、「自分には相応しくない」と無意識に決めつけ、行動することすらしない人がほとんどだと思っていましたが、わたしだって立派なその一人でした。
けれどそれを変えていっている人たちは確かにいて、そして憧れの人たちは「お仕着せの感性」に迎合せず、日々挑戦をしている人じゃないかと気づきました。

私は思いました。
自分が「いいな」と思う人の投稿にいいねするのは簡単。けど、それで人生が変わったことある?
それに、みんなに受けると分かりきったことをやって称賛されるほうが、きっと簡単です。けれど、だからといって自分の心が納得してくれるわけでもありません。
何かに挑戦しようとするとき、仲間がいなかったり、理解されなくて自信が持てないこともあるかもしれない。
一回の行動では何も報われないかもしれないけれど、行動をしない安心感の中にいても、自分の居場所が生まれるわけでもない。

いろんな人がいて、いろんな美しさがある

そう考えるようになったある日、ヌード写真の被写体の募集を見かけました。ありのままの女性のすがたをうつした等身大の写真を撮っているカメラマンさんによる募集でした。
いろんな人がいて、いろんな美しさがある。
頭ではわかります。けれど自分のこととなると、なかなかそう思えないのが現状です。
けれど、「じゃあそのままでいいの?」と思った時、やっぱりそうは思えませんでした。
今世の中でもてはやされている美しさにあてはまらなくても、堂々としたいから。
男の人の前にさらけ出すこともない体を、写真を撮られることで見ず知らずの人たちにさらす勇気がいらないわけがありませんでした。
けれど、わたしは応募しました。
「なんでもない」自分だけど、行動することに意味があると思ったから。

ひとつ大きな挑戦をしたわたしは相変わらず直線の体で、けれども写真の中のわたしはいつもより少しだけきれいなような、そんな気がしました。
なんとなくではあっても、自分のことを素直に受け入れることができた瞬間でした。
これからもあなたは、世の中の当たり前を押し付けられ、人生のあらゆることに不自由に感じることもあるでしょう。
けれど、わたしは信じています。

まずは受け入れる気持ちが大切。
そして、美しさとは感性と教養によって理解できるようになっていくものだと。
そのために何かひとつでも行動していこうと、そう決めたのでした。