「またこんな時間になってしまった…」
スマホに表示されたAM1時過ぎの表記を見て、はぁとため息をつく。

「こんな時間になってしまった」と肩を落としてしまったのは、22時過ぎに「今日はもう寝よう」と思って布団に入っていたからだ。
布団に入ってから約3時間が過ぎた深夜1時に私は「また今日も眠れないのか…」と肩を落とす。

10代の後半に夜勤のアルバイトをしていたことがキッカケで、体内のリズムが狂ってしまい、いつしか「寝たい」と思っても眠るまでにかなりの時間を要するようになってしまった。
眠れずに落ち込んでいたある日、ふと寂しさから誰かと話したくなった。

聞く専門だった私が、ふと思いついて初めてDLした青色のアプリ

ただ、時間は深夜1時過ぎ。こんな時間に気軽に電話をかけられる知り合いもいない。

それに実家に住んでいた私は、眠れないときは一緒に住んでいる家族のことを気遣って「深夜だから静かにしたほうが良い」とイヤホンでヒーリングミュージックを聴いてみたり、YouTubeに出てくる「1分で眠れる音楽」などをひたすら聴いて、眠れるその時を待っていた。

だから、深夜に音を出すこと自体が悪いことだと思っていたし、これまで一度も「この時間はさみしいな…誰かと話したいな」と思ったこともなかったから、突然浮かんできた自分の気持ちが不思議だった。

それでも抑えきれない気持ちをどうにか解消したい。と思ったとき、突然「ツイキャスをしようかな」と思った。

私はそれまでツイキャスは「聞く専門」だったので、緑色のビュー専門アプリだけをダウンロードしていたのだが、突然「ツイキャスしてみようかな」といった気持ちが芽生えたことで、初めて青色のライブができるアプリをダウンロードしてみた。

いざ、ツイキャスを始めようと思ったらすごく恥ずかしくなった。それでも、今話したい気持ちを抑えることはできず、フォロワーさんに知られることだけは嫌だったので通知がいかないように設定をして、恐る恐るツイキャスを始めてみた。

心の赴くままに話した初めての配信、誰もいない、そう思っていたけれど

スタートすると、私の配信には案の定、誰もこなかった。
その状況にホッとした私は枕元にスマホを置き、なんとなくその日の出来事や、これまで感じていた気持ちをブツブツと天井に向かって話し始めた。

「一人で喋るなんてやっぱり変だな…」
我に返りながらスマホを手に取った瞬間、ドキッッ!!としたのは、開始数分後からずっと私のツイキャスを聞いてくれている人がいたからだ。
律儀にその人は「こんばんは」「大変そうですね」「頑張ってください」などと、私のどうでもいい愚痴や、身もふたもない話に丁寧にコメントをくれていた。
焦った私はとりあえず『すみません。気づいてませんでした。こんばんは』などと挨拶を済まし、突然“誰かが自分の話を聞いている現実”に焦りを覚えた。
それでも、その人は「こんばんは」と返事をくれ、その後私がダラダラとしていた話に対して感じた想いや優しい言葉をくれた。それがとにかく嬉しかったことをよく覚えている。

泣き疲れて寝落ち 「やってしまった」と恥ずかしくてアプリを消した

それから「今日も眠れない…」と落ち込んだ日は配信を行うようになった。
たまに、全く知らない人がふとしたタイミングで入ってきて、すーっと抜けていくこともあったけど、私の配信は大体その人だけが来ているような状態だった。

きっとその人は通知をしてくれていたのだろう、いつも開始から数分後には「お疲れ様です」とコメントをくれ、ダラダラと話を聞いてくれた。いつしか私はコメントをくれる見ず知らずの人に話を聞いてもらうためにツイキャスをするようになった。

主に話していたのは、「これからの人生」や「生き方について」。
こういった話は当時、なかなか周りの友達には話しにくくて、そういった誰かに聞いてほしかった話を延々と聞いてもらっていた気がする。

ある日、家族や友達にも話したことのない自分の想いを話したとき、色んな感情に襲われて自分でも驚くほど泣いてしまい、そのまま寝落ちをしてしまった。

朝起きて驚いたのは、その人がいくつか話したことについてコメントをくれた後、「寝てるっぽい音が聞こえるので、眠れたんですかね。安心しました」「おやすみなさい。ゆっくり休んでください。」「自分を大切にしてくださいね」と、私が寝落ちをしたことを確認してから、コメントをくれていたことだ。
そのコメントを読んだとき、自分の行動がとんでもなく恥ずかしくなって、急いでツイキャスのアプリを消し、それ以降配信を辞めてしまった。
たった一人のために向けた、いや自分のためだけに“聞いてもらっていた”配信。本当はちゃんとそのことについて謝って、お礼をするのが筋だと思う。でも、当時の私には恥ずかしくてできなかった。

あの「私のために聞いてもらっていた」配信を、またいつか、

あれから、悔しいことや悲しいことに遭遇するたび、ふとツイキャスをダウンロードしたくなるのはきっとあの人に話を聞いてほしいからだと思う。
その人の存在が自分にとって大きな支えとなっていることに気づいたのは、お礼と謝ることから逃げてしまってから少し後だった。
きっともう二度と会えない人。
もし、謝れるのならあの日のことを謝りたい。
そして、ちゃんとお礼も伝えたい。

あの時、言ってもらった言葉は本当に嬉しかったけど、恥ずかしさから逃げてしまったこと。
眠れなかった日々を支えてもらった言葉の数々は今でも私の糧になっていて、落ち込んだときはあのコメントを思い出していること。
身勝手ながら、いまだに話を聞いてほしいと思うこと。
友人や家族から欲しい言葉をもらえないとき、「あの人ならきっと欲しい言葉をくれる」と
恥ずかしながらツイキャスをダウンロードしそうになること。

伝えたいことは山ほどある。
もしいつか謝れる日がきたら、あの日のことをちゃんと謝って、この4年間で起きた出来事を、また聞いてほしいと思ってしまう。