初めて彼氏が出来たのは大学2年生の夏。彼は友人の友人だった。友人のSNSにアップされた彼の写真を見て、純粋に「かっこいい」と思った。

友人が彼と会う機会を作ってくれ、初デートに胸を弾ませていた

その思いを口にしたのが功をなしたのか、友人が彼と会う機会を作ってくれた。予想だにしていなかった出来事に胸を弾ませていた。

当日、彼はとても紳士的だった。必ず道路側を歩いてくれ、「肌寒い」と言えば初対面に関わらず上着を貸してくれた。しかし「長く付き合っていた彼女と別れたばかりで、当分誰とも付き合う気はない」と言われた。

私はやんわりと、だけど確実に「恋愛対象として見ることはできない」と伝えられたのだと察した。「もう会うことはないだろう、自分がかっこいいと感じた人とご飯に行けただけで、良かったとしよう」そう思うことにした。

数ヶ月後、彼から遊びの誘いがきた。脈なしだと感じた彼からの連絡には胸が躍った。回数で言うと、出会って3回目で私たちは付き合った。

私は彼の献身的で絶対的な愛を「依存」という名の沼に変えてしまった

彼はとても優しかった、いつだって、私の気持ちや願いを優先して行動してくれた。心地が良かった。赤の他人でここまで私に尽くしてくれる人はこの世には彼以外いない、彼の献身的で絶対的な愛に私は依存という名の沼に身を投じた。彼の愛を利用し、私は彼を傷つけてた。

SNSにアップされた私たちの姿は、仲睦まじく幸せそのものに見えたと思う。けれど、現実は違った。私の思うように彼が行動しなかったら、何時間でも怒った。泣き喚いた、怒鳴った、何度も物や彼にあたった。

彼はそれを受け止めてくれた。どうにか落ち着くようにと、あしらえばいいものを彼は懸命に私の身勝手な怒りに向き合ってくれた。その懸命さに私は感謝することもなく甘えた、甘えきった。彼の限界がくるその日まで。

潮時というのを体験したこともないのに、不思議なものでなんとなくだが感じとることができた。彼が私から離れていっている。このままではいけない。私は彼と離れたくないが故に必死に彼の気持ちが戻るように試行錯誤した。

本質を見ようとせずに、とにかく自分が思いつく限りのいい女でいようと。だが、そうしようと思えるのも長くはなかった。彼との会話が弾まず、苛立ちを覚え始めた。私といても楽しくないのか、何が不満なのかと、そう考え出したら口に出さなければ気が済まなかった私は「別れたいの?」と切り出していた。

「そうじゃない」と言ってもらえるものだと過信していた。終わらせたくないなら、せめて彼から言われるまでは決して言うべきではなかったのだ。口は災いの元とはよく言ったもので、関係を終わらせる火蓋を切ったのは私だった。

私が手放したくなかったのは彼ではなく「無償の愛」だったのだ

彼と別れてからは、ろくに食べ物が喉を通らなかった、一人でいるとずっと泣いていた。どうしてこうなったのか、考え出すと思い当たる節ばかりで、思い出すのは彼の優しさだけだった。

彼に怒鳴ることなどないに等しかった、嫌だと思ってもその場で言わず冷静に考る時間を作ればよかった、怒っている時に出た言葉ほど相手をただ不快にさせるだけなのだと。そう考えれるようになった時には、彼はもう私の隣にはいなかった。

結婚を本気で考えていた。ずっと一緒にいれるものだと信じてやまなかった。彼には私、私には彼なのだと。そう彼に向けていた気持ちが愛でなく依存だったこと、彼は気づいていたのだろう。私が手放したくなかったのは彼ではない、無償の愛だったのだ。

彼と別れて数年が経った。彼がいないのならば、死んでしまおうかと思った私は、今ものうのうと生き別の相手と道を歩んでいる。皮肉を含めて、恋愛で死なないとはこういうことなのだ。