2018年の夏、27歳。専業主婦になった私は、急に全身から生えまくった羽が広がり、空へぴゅ~っと飛んでいる程に気持ちが軽くなった。急に生えたのではなくて、埃やら錆だとかで動かなくて気が付かなかっただけなのかもしれない。

結婚を機に辞めた会社。会社には感謝はとてもあるし、そこで働けてよかった。が、完全燃焼した私にはちっとも未練が無かった。
「次は何の仕事をやろう。自分の大切なものは大切にしながら、無理せずに自分らしく働きたいな。今は主婦ではなく、動けるうちに働こう。趣味等やりたい事もやりながら、どんな形でもいいから仕事はしよう。仕事も家事も愉しく行い生きていきたい」と新しい自分に生まれ変われることを楽しく想像していた。
そして夫も、「今後も妻は働き、やりたい事はやっていきながら生活していく」と思っていたであろう。

そのうちに、引っ越しや結婚式の準備やらで目まぐるしく日々が過ぎていった。色々と落ち着いた頃には桜が咲き始めていた。
そろそろ就職先をみつけようと思い、スーパーやコンビニに置いてある無料の求人雑誌を見つけては家に持ち帰った。スマートフォンでも興味のある求人を見ていた。夜行性の私は、昼間ではなく夜に見ることが多く、沢山の情報を漁っているうちに夫の目覚まし時計が鳴り「おはよう~。あら、眠れなかったの」と声が掛かるのだ。

自己嫌悪しては同じ位置に立ちっぱなしの日々。何気ない言葉に涙が溢れ

そんな生活がしばらく続き、短期バイトや派遣会社に応募したり履歴書を書いたりするのだが、面接までいった事がない。採用されなかったというより、私の力不足さからだった。
今までの出来事がフラッシュバックしたり、あらゆることを想像したり考えたりし過ぎる悪い癖があり、そんな状態にハマってしまうと足踏み状態になってしまう事があった。例えば、履歴書を書いていても途中で手が止まってしまい、企業に送れずに面接までいかなかったという事が出てくるのだった。自己嫌悪に陥っては同じ位置に立ちっぱなしの日々が続いた。

また季節が一周していた。「よし、今年こそ」と意気込んだが、コロナウイルスが流行りだし自粛を繰り返しているうちに29歳になっていた。
周囲には働くという意思を見せていた私に会うたびに、家族や友人、元職場の人は「今何しているの?仕事しているの?」「働きなよ~」「仕事しないのってどんな感じ?いいなぁ~」と話すのである。
本人達は何気なく言っているとしても私にとっては、不意にカマが心臓に突き刺さるかのような衝撃がくる。酷い時は、むき出しの感情と涙が溢れてくるのだ。事実なのだし働く意思を見せていたのだから、そう言われるのは当然なのかもしれない。挨拶の様に言っている人もいるだろう。

主婦だって立派な仕事。何故こんなにも働けと言われるのか

しかし、何故こんなにも働けと言われなくてはいけないのか?仕事をしていない事がそんなにも悪いのか?ただ、楽している訳でもない。
人それぞれ、抱えている問題もあって、働きたくてもなかなか働けずに苦しんでいる人もいる。健康を害してまで働くのも腑に落ちない。
立派に家事や育児をしている専業主婦・主夫もいる。日本国憲法で勤労の義務があるから働かなくてはならないのだと言われるだろう。
けれど、それが当たり前の様に言われるのってどうなのだろうか。次第に、そんな心境になってきていたのだった。
仕事をしていない主婦の私を正当化しているかの文章になっているかもしれない。けれど私は、この2~3年の間でそう思ってしまったのである。

「働かないで怠けている人と思われているのだろう」だとか色々と考えて自己嫌悪に陥っていたのだが、コロナウイルスで自粛が普通になってきて私には過ごしやすい日常に変わった。誰かにとやかく言われる事なく、過ごしたいように過ごす事が出来ているからだ。

久しぶりに会った友人がもたらしてくれた私だけの春風

自粛が解除され落ち着いた頃に買い物に行ったら、久々に友人に会った。お腹が大きくなっていた友人は、「専業主婦しているの?私は、妊娠したから、仕事辞めちゃった」と私にあっけらかんと言った。
正直、「またいつもの質問だけど嘘ついても仕方がないからね」と少し思いつつ、「ちゃんと出来ているかわからないけど、専業主婦しているよ」と話した。
「えーすごい!私は、出来ない。全然やってない。ほとんど旦那にやってもらっている!」との返答がきた。
その日は冷たい風が吹いていた日だったが、私にだけ春風のような風が吹いた気がした。
初めて言われた言葉だった。とても新鮮で目から鱗だった。

そんな友人家族は、共働きで普段から夫が家事も結構やってくれている印象であった。友人は、自分の気持ちに正直で自分の好き嫌いがはっきりしている人だった。そして、出来ないことは出来ないと認めて、やりたい事や好きな事をどんどんやっているように私には見えていた。勿論、出来ない事に対して彼女なりに努力や葛藤はしているかもしれない。
周囲に対しての気遣いと感謝を大切にしながらも、いい意味で周りの目を気にせずに自分は自分という感じで生きている様に感じていた。
友人は妊娠していて、私は妊娠していないという点では、立場が変わってくる。妊娠していると身体にも負担は掛かってくると思うし、家事が出来なくてもしょうがない。だから、旦那さんが更に協力的で家事をやってくれているというのもあるだろう。
しかし、そんなに堂々と家事をしていないと言える友人に驚いたのだった。仕事をせずに専業主婦として家事をしている事でさえ、どこか後ろめたさを感じていた私は、堂々と言えずにいたのだ。
どんな時も、いつも自分の気持ちに素直で、自分を大事にしている堂々とした友人を見ていてとても気持ちが良かった。「自分を小さな枠に閉じ込めずに、私も堂々としていていいのではないか」と、そう思えた。

その日から私は、もっと前向きに過ごすことが出来ている。生きづらくしていたのは私の思い込みだった。今まで卑下していたのは、自分の心が未熟だったからなのかもしれない。
これから私は、まだどうなるかわからないが、今は専業主婦だ。立派な肩書だ。今は、誇りを持ってやっている。とても有り難い事に夫が家事を手伝ってくれる事は結構多いが、最低限やろうと心掛けている。家の住人が暮らしやすいように考えて工夫しながらやっていく。
これは、立派な職業なのではないかと思うのだ。そう思う一方で、そもそも肩書や職業なんて気にし過ぎずに、人間として様々な事に向き合って自分の感情に素直に生きる事が一番で、人間として生きる事こそが立派な事なのではとも思えてきた自分もいる。

専業主婦だから何としても家事を完璧にこなさなくてはいけないとは思わずに、その人のペースで無理せずにやっていければいいと思う。
もちろん、それはどんな事でも言える事だ。今、在る事を愉しんでやっていきたい。
どんな人も、生きやすい世の中になりますように。