彼女に投げた言葉を今ではもう思い出せない。彼女に酷いことを言ってしまった、言わなくていいことを言ってしまった。記憶にあるのはそんな抽象的なことばかり。彼女は鮮明に覚えているのだろうか、曖昧に覚えているのだろうか。全く覚えていない選択肢を作るのは都合が良すぎるだろうか。
今でも彼女の心には棘や針が刺さったままなのだろうか。

小説や漫画、2人で創りあげた世界に浸るのが楽しくて仕方なかった

彼女と仲良くなったのは小学校高学年の頃だった。お互い漫画やアニメが好きで、私たちは自ずと漫画や小説をかきはじめた。
八時半には学校に着いていればいいものを学校に着くのは七時半頃。まだ誰もいない教室でお互いの作品を見せあい、読みあった。同級生が休み時間にドッチボールやサッカーをしに外へ出るなかで、私たちは机を囲んで空想の世界に浸った。授業そっちのけで絵に、構想に、手を頭を使った。

学校がない日はお互いの家を行き来し朝から夕方まで漫画を読み、描き、作り、見せ、私たちは現実世界とは別の自分たちが創りあげたもう一つの世界を大いに楽しみ、その世界を共有した。そんなことが出来る、友達だった。

そんな唯一無二とも言える友との関係に終止符を打ったのが今から七年前、中学三年生の春頃だったと思う。当時はこの気持ちが怒りだとばかり思っていた。今だからこそ分かるのは、この気持ちは怒りではなく寂しさであり、その気持ちを言葉で表すなら『もっと一緒に話をしたい。そして、作品を創りたい』それだけだったのだ。

「寂しい、話がしたい」2人の間にできた溝は埋まらず、そして

中学生にあがって私たちは同じ部活に入った。クラスが離れていても放課後には必ず会える、部活に入ってないよりは入っている方がいい、理由はそんなものだったと思う。
そんな安直な理由で入部したのが裏目に出たのだと思う。この選択が亀裂を生むことになると思いもしていなかった。

学年があがるにつれて彼女は徐々に部活に来なくなったのだ。
最初は持病の喘息が悪化するからだと言った。今まで、喘息を起こした彼女を見たことがなかった私は咄嗟に嘘だと思った。あろうことか心配する前に私は彼女を疑いにかかった。クラスも離れて、次第に交友関係が変わっていった。頼みの綱であった部活にも来ず、私たちの間には着々と溝ができていった。
「寂しい、話がしたい」
そんな気持ちと思いが願いではなく不満に変わるのは、当時の私にはあまりにも容易なことだった。

もう部活には来ない。つまり、辞める旨を告げてきた日。募った不満を爆発させるのもまた容易なことだった。
彼女は学校と家でかなり距離があるから部活が終わってから家に帰るのが危ない、親の体調が悪く学校まで迎えに来てもらえない、とそう言った。カッとなった。家から学校まで距離があるなんて最初から分かってたじゃないか、親の体調不良だなんて絶対に嘘だ。辞めたいがために親を理由に使っているんだと、彼女を信じる心は一切なかった。一種の被害妄想のようなものに取り憑かれた私はありったけの言葉の暴力を振るった。そうすることで、頭に、心に巡っているどす黒く重たいこの気持ちが減少されていくと思った。

彼女は涙を流して「ごめん」と言って去っていった。
怒りに任せた言動は私は自分が一番大切だと、大事だと思っていた関係と場所を壊したのだ。気を晴らすなんてその場しのぎの快感であって後に産み出したのは、後悔という念だけだった。

「謝れるかな」今はまだ断言できないけれど

それから私は絵を描かなくなった、買っていた道具も全て引き出しの奥にしまった。想像をやめて創造をやめた。交友関係も変わり、遊ぶ場所も遊び方も変わり、あれから彼女と一度も会話をすることなく卒業式を迎えた。
言いすぎた、謝りたいと思う一方で私は彼女に裏切られたのだと思いこむことで保身に走った私は、謝るという行為から逃げた。全てがあまりにも幼く、その幼さを映し出した自尊心を剥き出したまま私は彼女と別れたのだ。

そうした後悔を、自分の幼さが産んだ虚しさを抱えたまま私は今を生きている。今、会ったら謝れるのだろうか。断言できていない時点でまだ謝ることができないのだろうか
ごめんね、その一言に悩み、難しいと思える相手は後にも先にも私は彼女だろう。

あなたと過ごす時間が好きだった、心無い言葉で傷つけてしまってごめんなさい。私の稚拙さが産んだ後悔と虚しさが救われるのはそう言える日がくるまで続くだろう。それでいい、それが私がした行動の重さだから。私は自責の念を持ってこれからも生きる。彼女に刺してしまった針と棘を抜くその日まで。