先日、世界中の怒りを買ったこと、もはや言わずもがなだけれど、某スポーツ組織の会長の発言。女性に対する、大変に失礼で軽率な発言。
あらゆるSNSで問題点が指摘され、テレビでもコメンテーターがしきりに発言内容に対して、持論を述べている。
私も一応生まれた時から女性性としてやらせてもらってるわけで。今回の話、当然腹が立った。私には色んなタイプの女性の友人がいて、その友人一人一人の特性なんて1から100まで全然ちがう。「性別」一つで一緒くたにされていいわけない。沢山の女性像があるのにそれを踏みにじられた気がして、やるせなくて。

でも、怒りが湧くのと同時に、彼の発言が自分自身の過去の発言・行動達を鮮明に思い出させた。そして、自分が踏みにじってしまった「誰か」の顔も同時に浮かんだ。
その過去の自分自身から生まれた発言や行動を再考し、今、心底恥じ、そして自分自身に怒っている。

男性はみんな「そういう話」を求めていると勘違いしていた

高校時代、私は女子校に通っていた。
男性が近くにいなかった分、「想像する男性像」には偏りがあった。男性に免疫が無い癖に、わい談に花を咲かせ、持て余した時間と興味をそういった「話」にぶつけていた。

大学に進学したことを機に、私の周りに男性が現れるようになった。
高校時代のワイ談やイメージを根拠に、私は「男性全員性的な事・話が好きなものである」というバイアスを抱いていた。だから、「シモの話」をする事を男性みんなが求めている、という盛大な勘違いをしていた。
その勘違いは恐ろしい事に2年間は続き、その間に、会話の中で、私は男性にセクハラまがいの話を振り、それをネタに笑いをとったり、今思うと最低なことをした。
イジってるだけじゃん、みんなしてるじゃん、そんなありふれた言い訳を用意しながら、NOと言わせない雰囲気を無意識に作り上げたのは、確実に私だった。あの時、その場ではみんな笑って受け答えしていた。

自分自身も誰かが作った「女性の枠」に縛られていた

けれど、今ならわかる。あの中の笑顔を貼り付けていた彼らの中には心底嫌だと思っている人がいただろうことを。今ならわかる。そんな話、言いたくない・聞きたくない人なんて、沢山いる。
ありがたい事に、大学の5年間を通し、私には男性女性に関わらず多様な友人ができた。そして、少しづつ、私の価値観は明らかに「間違っていた」事に気付かされた。

男性=性欲が強い、は間違っている事、男性だから常に論理的なわけではない事、男性だから泣かないわけではない事、本当に色んな思い違いの糸ががスルスルとほどけていった。
そして、自分自身も誰かが作った「女性の枠」に縛られすぎて、いつのまにか動けないほど苦しくなっていた事にも。
私は、女性だから配膳しなきゃいけない、バカなふりしないといけない、男性をたてなきゃいけない、その「いけない」は一体誰が創り上げた価値観で、誰の「為」に頑張っていたのだろうか。

私は、自分自身の価値観が生み出した発言で、行動で、過去にあの会長と同じように、誰かの権利を踏みにじっていた。そして、自分自身から浮かんでいた「女の子なんだから」に対する疑問、もやもや湧き上がる感情の正体、それらに対し「仕方のないことだから」と無視するように努めていた。

もう二度と、誰かに屈辱的な思いをさせない

そんな間違いだらけな私だったけれど、多くの人と関わるというプロセスを経て、やっと気がつくことことができた。
国籍、性別、年齢、全ては箱のようなもので、その中がどうなっているか、開けてみないとわからないこと。中身を見ようともせずに「決めつけること」が誰かを傷つけるかもしれない、という事に。

そして、自分も「決めつけられる」ことで、過去に何度も傷つき、本当は幾度となく違和感を感じていた瞬間があることも。やっと認めることができた。

過去の自分の発言はもう撤回できない。誰かに嫌な思いをさせた事実も消せない。
だから、今この場を借りて、誓いたい。もう二度と、誰かに屈辱的な思いをさせないことを。あの時無意識に傷つけたあなたと私に。精一杯のごめんね。somnia