「妊娠した」
誰かからこの言葉を聞くときは、喜びがぶわっと全身から沸き起こって、その人とこれから生まれ来る命の幸せを願い、思い切り祝福を送る、そんな笑顔溢れる瞬間だと信じて疑わなかった。
でも、できなかった。空気が重すぎて動けない。
暴力をふるう交際相手と別れられなかった友人。彼女にはそうする以外の選択肢がなかった
持病を抱えており、金銭的な理由で大学を退学せざるを得なかった友人。当時の交際相手と暮らしていたが、彼は暴力をふるう人だった。力でねじ伏せた後は別人のように泣きながら謝罪し、しばらくすると元通り。私はずっと考えなしに、「そんなのもう別れてよ。そこまで苦しそうなの、耐えられない」と言い続けてきた。そして、彼女は妊娠した。
何も言えなかった私。それまで言ってきた言葉は、全て彼女を深く傷つけるものであることがようやく分かったからだ。持病がありフルタイム勤務は難しく、一人で生計を立てることは困難で、頼れる家族もいない。妊娠したら彼女の収入はなくなって、パワーバランスはさらにいびつになり、ますます交際相手の配下に組み込まれることになる。新しい命が脅かされる危険だってある。絶望だった。
もちろん彼女だって、心身共に傷つけてくる交際相手と一緒にいたくているわけではない。
しかし、生きるために。生きるためにそうする以外の選択肢がなかったのだ。私が残酷に何度もぶつける言葉に対して、「そんなのできるならやってるよ」を飲み込んで、彼女は眉を下げていた。
私が努力してこれたのは、たくさんの選択肢を選べる環境があったからだと気がついた
私は、中学受験を経て、部活も行事も勉強もすべて自発的に全力で取り組み、名門と呼ばれる大学への進学を果たした。就職活動も難なくこなし、大手企業に内定をもらった。
私は自分の努力でここまで来たと信じて疑わなかった。幼い頃から習い事も表彰されるまでひたすらやりこんだ。部活では夜遅くまで自主練をしていたし、受験前は一日16時間以上も自習室に缶詰めになり勉強した。そんな私に、周囲は「本当に努力家だね」と称賛の言葉を送り、私もそこが自身の長所だと思っていた。
そうして色々な経験、知識を蓄えたけれど、「あなたは努力できる環境を与えられているんだよ」と教えてくれる人は誰もいなかった。英語に憧れ、話してみたいと言ったら、英会話教室に通わせてもらえた。
ねえ、夜遅くまで自主練をして、ご飯を作って待っていてくれるのは誰?塾に通わせてくれているのは、誰?
私はそれに気が付かず、自分の力でここまで来たと考えていた。もちろん、度々感謝しなくちゃならないよ、と自分を戒めることはあったが、結局は自分の努力の結果だと確信していた。
しかし、今回の彼女の妊娠を経て、それは私がたくさんの選択肢を持っていたからだと気が付いた。努力よりも先に、目の前にいろいろな選択肢があり、それの中から「どれがいい?」と選ばせてもらえる環境があったのだ。
彼女は眉を下げる度にどんな気持ちになっていたのだろう。怒りや悲しみもあったかもしれないが、諦めが最も近いのではないかと思う。私に何を言っても分かりっこない、もうこの現状で何とかするしかない。
未来が広がるように、選択肢を増やせるように。諦めを少しでも減らしたい
今の私は、こうした諦めを少しでも減らして、より多くの選択肢を提示するために働きたい。社会人歴の浅いひよっこが、大それた、おこがましいことを言っているのは承知の上だ。
だが、転職支援の仕事に携わる中で、私が今まで出会って来なかった数多くの「仕方ない」「そうするしかなかった」「どうしようもない」を耳にする。その度、私は彼女のことを、何も言えず彼女を救えなかった自分のことを思い出す。
働く理由は人によってさまざまだ。お金を稼ぐため、成長するため、自己実現のため、夢を叶えるため……これらに良し悪しはない。
だが私は、どんな理由で働くにしても、できるだけその人の未来が広がるように、選択肢を増やす手助けがしたい。私はそのために働くのだ。
幸運なことに、私はそれができる職についている。辛いこともあるが、なあに、もともと置かれた環境で努力することは苦ではない。
今、彼女は当時の交際相手とは別れ、公的支援を受けながら一児の母として暮らしているそうだ。新型コロナウイルスが収束したら、迷惑に思われるかもしれないが、直接会って今までの言葉を謝りたい。
そして、償いにはならないけれど、彼女と、その小さな命に、より多くの可能性が開かれるように頑張らせてほしい、と伝えたい。