大学に入って早々、仲の良い男の子ができた。吹奏楽サークルで同じパートだった彼とは共有する時間が多く、自然と距離は近づいた。サークルの帰りにふたりで帰るようになり、帰り道に寄り道をするようになり、休日にふたりで会うようになった。

複数人で出掛けたテーマパークでは、先頭集団に遅れてふたりで連れ立って歩き、飲み会の場ではやたらと隣同士に座り、学部も違うのに同じ授業をとった。

恋人になりたい。いつの間にか、私はこの関係に名前を求め始める

非公式公認カップル。私はそう、自負していた。しかし、待てど暮らせど関係はそれ以上にも以下にもならない。

幾度となく周囲に付き合ってるのかと問われるが、その度そうならいいのにと思いながら否定するはめになる。今のこの関係は、なんなのだろう。友達以上、恋人未満。名前の無い関係性が、急に不安定なもののように思えてくる。ただふたりでいられればよかったはずが、関係に名前を求め始める。何にも脅かされない、お互いにとって唯一無二の間柄。

恋人になりたい。

バレンタインを前に、決意する。作るお菓子を決め、ハートのプレゼントボックスを一つだけ買った。

当日、帰りの電車から降りるやいなや、叩きつけるように「本命だから!」と箱を突き出した。あぁ、こんなはずじゃなかったのに、と逃げるように彼とは別の路線へ走る私。戸惑いがちな「ありがとう」が聞こえる。初めての告白だった。

心のどこかでハッピーエンドを思い浮かべながら彼の顔を見た

返事はきっと、次に会った時にでも聞けるだろう。そう思っていたが、サークルで何度顔を合わせても彼の態度は変わらず、返事も聞けなかった。ホワイトデーにお返しとともに返事が聞けるのかもしれない。そんな生殺しの状態で迎えたホワイトデー。

「ちょっと、いい?」

駅構内。上擦った声に呼び止められ、私の心臓が跳ねる。ついにきた。覚悟を決めて、「いいよ」と真正面に彼を見すえる。心のどこかでハッピーエンドを思い浮かべながら見つめたその顔は、けれど、泣きそうに下を向いていた。すっと高ぶった気持ちが冷めていく。あぁ、私はこれからふられるんだ。胸の鼓動の音が変わる。

「こないだの、バレンタインの、だけど…。ごめん」

不思議と冷静に受け止めた。いや、何も言えなかったから、やっぱり混乱していたのかもしれない。断りの言葉と共に差し出された手には、律儀に可愛らしい包装紙に包み込まれたお菓子。

やっとのことで、そっか、とだけ口にする。今までの関係に言葉を与え、先に進めるために告白をしたつもりだったけれど、どうやらその行為によって、今まさに、関係が終わろうとしているらしい。あんなに仲が良かったのに。どうして? 好きで一緒にいてくれてたんじゃなかったの? 頭の中が、なんで、でいっぱいになる。

好きという言葉はもっと広くて、色んなベクトルがあるのかもしれない

「小春のことは好きだけど、そういうふうに、考えられなかったんだ。勘違いさせるようなこともしてたかもしれない、ごめん。でも、おれが言うことに笑ってくれて、一緒にいるのは、本当に楽しくて…」

いつも飄々としていて軽口ばかり叩きあっていた彼が、こんなに真剣に、苦しそうに、真っ赤になって話しているのを、私は初めて見た。

その顔を見て、ざわめいていた心の中がゆっくり凪いでいく。あぁ、きっと、彼の中で私が大切な存在だったということに変わりはなかったんだ。こんな顔をさせてしまうくらいに。私は彼を好きという気持ちを恋と結びつけたけれど、好きという言葉はもっと広くて、色んなベクトルがあるのかもしれない。

「おれの勝手で悪いけど、これからも、変わらず、仲良くして欲しい。…友達として、になるけど」

失恋の常套句。だけど、彼は本気で言っている。本気で思って、言ってくれている。そう思えた。そんなの社交辞令だと嘲笑われようと、気にするものか。外野に何を言われようと、私と彼の間柄は、私と彼にしか分からない。言葉通りに受け止めたっていいでしょう?

「ありがとう。これからもよろしく。…友達として」

口にした時にはもう、私の気持ちはどこか晴れていた。

失恋以降、今まで以上に軽口を叩きあうようになった。そのせいもあってか、ついに付き合ったかと噂されたのは皮肉なものだ。その都度振られたよ、とさらりと口にし、友人たちを閉口させた。彼に対して素を出していた気でいたけれど、好きだ、これは恋だ、と思っていた頃は好かれようと随分と遠慮していたんだなぁとかつての自分を愛おしく思う。

恋は終わった。好きは残したまま。かわりに、新しい関係が始まった。それは形を変え、きっとこの先も終わることなく続いていく。こんな関係も悪くないと、今の私は思う。