わたしも30歳になったら、おかしくなって死ぬかもしれないと思った。
その人のことを知る人たちと、まだこの話をきちんとできたことがない。
時々思い出すけれど、気持ちの置きどころがわからないことのひとつ。

愛される「憎まれっ子」から、敬遠される存在になっていった

大学時代に自分を可愛がってくれた年上の先輩がいた。
すこし年齢が上がってから大学に入った人で、わたしたちよりもだいぶ色んなことを知っていて、とても自由に振る舞う人。

その自由さに振り回されることも多かったけれど、自信があって明るくて、新しいアイディアをくれて、人をもてなす気持ちがある人だった。
もともと破天荒で大げさで、良くも悪くも人を巻き込む人だったけれど、結婚してから前よりもおかしな言動が増えていった。SNSでも、大げさでおせっかいで迷惑にも感じるほど痛い絡み方をするようになった。

明らかに周囲と軋轢を生むようになり、愛される「憎まれっ子」から、敬遠される存在になっていった。
その後あまりにも言動が変になったと思っていたら、病院に入ったらしい。
そしてしばらくしてから、退院したとも聞いた。
その人が「ふつうに」 SNSを更新しているのを見て、また騒がしくなるだろうなと思っていた。

そんなある日、その人の結婚相手から、その人が亡くなったことを知らされた。
退院して落ち着いていたとばかり思っていたのに。
結婚相手の人は裏表ない穏やかな人だったのに。
どうして?何もかもがわからなかった。

自分が初めて向き合う、若い人間の死だった。
うっとおしいくらいパワフルに、わたしの人生に踏み込んできた先輩はもういない。
就職して慣れない新社会人生活に降ってきた突然すぎるニュース。
驚きと悲しみとストレスが、わたしをしばらくの間塗りつぶした。
人はあるときパッと死んでしまうことがあるんだな。
「自殺未遂」が未遂に終わらないことがあるということを、初めて知ったのだった。

その人をジャッジし、漠然と恐れ、避けることしかできなかった

わたしもその人のように、周囲をかき乱す「憎まれっ子」の性質を持っていた。
わたしも30歳になったら、おかしくなって死ぬかもしれないと思った。
その人に似ていると思った憎まれっ子としての性質に、怖くなった。

今思うと、先輩は精神疾患になってしまっていたのだろう。
そしてわたしが恐れた憎まれっ子の性質は、発達障害的な性質によく当てはまった。
当時わたしには知識も理解もなく、また、大学生だったわたしたちの周りの人たちにもわかっていた人はいなかったように思う。
いつだって正気だったわたしたちは、シラフのテンションでしかその人のことを見ていなかったんだ。

その人をジャッジし、漠然と恐れ、避けることしかできなかった。
どれだけ孤独に過ごしていたかを、わたしたちは誰もわかっていなかったんだろう。
当時その人を避けた人間のうち、亡くなったことを知っている人は何人いるんだろう。
その人は誰かの中でずっと、めんどくさい憎まれっ子として生き続けているんだろうか。

できたことがあったかもという後悔、無理解でさらに孤独にさせた後悔

死んでしまった人についての気持ちというのはいつだって難しい。
誰かを救うというのはおこがましい考え方だと思う反面、知識がないことで見過ごしてしまっていいのかとも思う。あの時の正解は、わからない。
わたしは、わたしたちは、「知らないこと」についての罪深さのようなものを背負って生きているような気がする。何かできたことがあったのではないかという後悔の気持ちと、無理解によってさらに孤独へ追いやったことへの後悔。

謝ることは、もうできない。
30歳を目前にして、憎まれっ子のわたしはまだ生きている。
憎まれっ子の性質を、飼い慣らしながら。

「おかしくなること」への漠然とした恐れはあるけれど、世の中からのプレッシャーや自分の性質をできるだけ客観的に理解することで、「おかしい」と片付けることの乱暴さにも敏感になった。
そしてその人とはまだ、SNSで繋がっている。
奇妙な感覚。
わたしたちを結んでいた繋がりって、一体なんだったんだろう。