誰にも言えない後悔がある。
誰にも言えない「ごめんね」がある。
もう届くことはない「ごめんね」が、私にはある。
私は「いい子」だったけど、隠し事だらけだった
私は平凡な家庭で育った。
人情味に溢れる両親に育てられ、楽しい毎日だったし、幸せかと聞かれたら幸せだと答えられる毎日だった。
かっちりした両親ではなかったけれど、筋を通すところは通して欲しいと常日頃から口にしていた。
例えば、遅くなるなら連絡をすること、とか。
恋人と旅行に行ってもいいけど、常識ある行動をすること、とか。
そんなことを両親は私に願っていた。
表立って示していたわけではないけれど、なんだかんだ言いながら両親のことが好きだった。喧嘩もしたし反抗もしたけど、大事にしたいと思っていた。
だから、私はそこそこ「いい子」に育った。
ただ、自分の話を両親にするのは苦手だった。なんだか恥ずかしかった。どれだけ隠せていたかはわからないけど、秘密主義を貫いていた。
両親は自身の話をするのが好きで、毎日私は聞く方に徹していた。
だから私は「いい子」だったけど、隠し事だらけだった。
それでも不便や不自由はなく、家族仲も良好なまま大人になった。
震える手で検査薬を買った。陽性の印が浮かんでいた
私が誰にも言えない後悔をしたのは、23歳の時だった。
ある時から、急に体調の悪い日が続いた。仕事中にも関わらず、なんだか気持ち悪いし熱っぽい。
繁忙期だったが、忙しくない時間には度々休憩を取らせてもらい、横になっていた。原因がわからないまま1週間ほどが過ぎた。
生理前の不調かな?とどこかで思っていた。しかし、こんなに長引くのはおかしい。そう、まだ生理が来ていなかった。
予定日から2週間が経っていた。
元々不順でもなかったから、生理が遅れていることに気づいた途端、心臓が激しく脈打った。
まさか。
基本的には妊娠する可能性はなかった。たった1日を除いては。
たった1日だけ、彼氏と飲みすぎた勢いで…。
考えられるのはその日だけだった。
筋を通すことを口すっぱく言い続けていた両親の顔が浮かんだ。
いつかのテレビで、授かり婚の話を見ていた時に「順番は守ってほしいよね」と父が言っていたのを思い出した。
震える手で検査薬を買った。
まさか、とは思ったが、
やっぱりな、とも思った。
陽性の印が浮かんでいた。
どうしても父の言葉が頭から離れなかった
彼氏に相談して病院に行った。
妊娠8週です、という先生の言葉と共に、エコー写真にうつる小さな小さな命を見た。
どうするか決めたらまた来てください、と言われた。ただ、もし中絶をするなら期限があるから早めに決断を、とも言われた。
私が決めた。さよならすることを決めた。
彼氏とも話し合った。どうしたい?と聞かれた。産んで結婚してもいいよとも言われたし、見送ってもいいよとも言われた。
もちろん2人共に責任があった。
だけど、決断は私がしなければならなかった。
どうしても父の言葉が頭から離れなかった。たくさん悩んだ。もし、現状を打ち明けたとしたら、怒られはしても助けてくれることはわかっていた。それでも、両親の期待を裏切ることが、私にはできなかった。相談することさえ、長年の隠し癖のせいでできなかった。どうしても、できなかった。
ただただ「ごめんね」と繰り返して泣いた
職場には家庭の事情を理由に、無理を言って3連休をとらせてもらった。
わたしは手術をうけた。
麻酔を打たれ、あっという間に意識が遠のいた。目が覚めた時には全て終わっていた。
そこで私はようやく実感した。
涙は勝手に出てきた。
私が泣いていいわけないのに。
私が決めたことなのに。
私が一つの命に終わりを告げたのに。
ただただ「ごめんね」と繰り返して泣いた。もうあなたには届かないのに。もうあなたには伝わらないのに。
私が弱かった。私は自分だけを守った。
「ごめんね」せっかく選んできてくれたのに
「ごめんね」せっかく一生懸命脈打っていたのに
「ごめんね」抱きしめてあげることを諦めてしまって
何をどれだけ謝ったって、足りないし、もう届くことはない。
願わくば、あなたの次の人生が幸せで溢れていますように
友人たちと話していると、時折中絶の話題が出たりもする。みんな口を揃えてありえないと言う。私は賛同こそしないものの静かに微笑んでやりすごす。
その度に心の中であなたに謝る。
不妊治療を頑張る友人の話を聞くと、心臓をえぐられる気持ちになる。だけどそれを私はこれから一生背負っていかなければならない。あなたがいた証だから。
もう届かないけれど、時折思い出してはごめんねを紡いでいます。
最近やっと、ごめんねと一緒に、それでもありがとうを紡げるようになりました。
私にはそんな資格ないけれど。
願わくば、あなたの次の人生が幸せで溢れていますように。
願わくば、次は必ずあなたにこの世界を見せるから、私の元に戻ってきてくれますように。
願わくば、いつかどこかで会えた時には、目一杯のごめんねを伝えられますように。精一杯のごめんねと一緒に抱きしめられますように。