私が大学一年生の時に付き合っていた彼のことを、今でもふと思い出すことがある。
あの頃の私は大好きだった父が亡くなり、家族がバラバラになっていくのを日々感じて生きていた。

父が倒れたのは、3人姉妹の末娘だった私の大学入学が決まった直後だった。
これまで父子家庭でがむしゃらに働いてきた安心感から倒れてしまったのかなと親戚から言われ、私のせいで父が亡くなった、これ以上姉たちにも迷惑はかけられない、と自分を責める毎日だった。
葬式などもひと段落し、私が大学生活をスタートした春には、長女は就職して家を出ていき、次女は恋人の家に泊まり歩くようになった。
学費は父の遺産があるものの、生活費のことなど分からないながらにただただ不安だった。

そんな中、出会ったのが彼だった。
彼は教授のアシスタントのアルバイトをしている三年生の先輩で、一年生たちに講義をどのように組めばいいかアドバイスをしていた。雑談をしながら話していると、彼が私と同じ隣の県から大学に通っている話になり、親近感が湧いた。
カリキュラムについての相談も一通り終え、友人たちとその場を離れようとした私に彼が再度声をかけ「良ければ…」と照れ臭そうに連絡先を交換した。

「できることはなんでもしてあげたい」彼の優しさが嬉しくて

正直言って、どうして私なんかに声をかけたのか不思議だった。昔から目鼻立ちがはっきりとしている姉たちと一重で鼻も小さい私は比較され、「お姉ちゃんは可愛いね」と言われることも少なくなかった。
もちろん大学生になってから髪も染めてパーマをかけたりもしたが、それでも声をかけられるとは予想もしていなかったため、それだけで嬉しくて舞い上がってしまった。

彼との何度かのメールのやり取りの後、私たちは付き合うことになった。彼から告白された時、家庭のことがあるためあまりお金をかけられないことなど悩みを打ち明けたが、彼は逆に自分ができることはなんでもしてあげたい、と言ってくれた。彼の優しさが、ただただ素直に嬉しかった。

言葉通り、彼は色んなことをしてくれた。
車を持っていた彼は時間がある時は学校まで迎えに来てくれ、お米などの重たい食材を家まで運んでくれた。風邪をひいた時には薬やスポーツドリンクなどを届けてくれたりもした。
ふと父のことを思い出し家で1人泣いてしまう時にはいつも彼に連絡をした。

彼はどんなに深夜でも電話に付き合ってくれ、時には家まで来てくれることもあった。彼が私のために尽くしてくれればくれるほど、愛されているという実感が湧き、寂しかった気持ちが満たされていった。
けれど、それが彼にとって重荷にしかなっていないことに私は気付きもしなかった。

深夜の電話で彼が切り出した別れ。私は彼に依存していた

10月、いつものように深夜に彼に電話をすると、彼が言った。
「…もう俺は君を支えてあげられない。別れて欲しい」
前兆がなかったわけではない。就職活動が始まり、返信が遅くなることが増えていた。それでも変わらず私を想ってくれていると信じていた。
私は突然の別れにただただ声を出して泣き、彼に別れたくないと懇願した。彼はひたすら謝り続け、気付いた時には、電話は切れていた。

しばらくの間、彼がいなくなった虚無感で毎日目は泣き腫らし、周囲から心配されるほどだったが、私は一ヶ月後、別の男性と付き合い出した。

冷静になって考えてみると私は「彼」が好きだったわけではなく、ただ父の代わりの愛を求め、誰かに依存しようとしていただけだったのだ。
私は彼に対して「どれくらい私のことを好きか」試すようなことばかり行ってしまっていた。深夜にどうしても会いたいとせがみ、彼が事故に遭いそうになったことさえある。
愛情を試すような行為は不毛だ。

彼との恋を踏まえて私は自分自身に一つのルールを設けた。
「試さなければいられない恋なのであれば、別れを選択しよう」と。