どうやらわたしは働くことが好きなようだ。働くといってもせいぜい大学生のアルバイトだけれど。

親の仕送りだけで贅沢な暮らしをしている人が、いつも羨ましかった

わたしは高校生まではアルバイト禁止の学校に通っていたため、両親から貰うお小遣いでほしいものを買っていた。でもその頃お金を使う場面といったら放課後に寄り道してファストフードを食べたり、休日に映画を見に行ったりする程度だったから、特別「お金がほしい」と思ったことはなかった。

でも、大学に入学してから、飲み会やサークルの合宿など、お金がいくらあっても足りないなと思う場面が多くなった。
当時のわたしには欲しいものもやりたいこともたくさんあったけれど、そのどれもをすることは金銭的に無理だった。友達の中には、アルバイトをしておらず親の仕送りだけで贅沢な暮らしをしている人もいて、わたしはそれがいつも羨ましかった。

両親にほしいものをねだったりお小遣いの増額をせびってみても「うちはお金ないから」の一点張りで、その度につい自分と裕福な友達と比べてすごく惨めな気持ちになった。どうすれば不自由なく自分のやりたいことを楽しめるのか。そこでわたしが思いついた方法は至って簡単で、働いてお金を稼ぐことだった。

この暇な時間を何かに使いたいな、と思って浮かんだのは働くこと

その頃からわたしは、友達から「働きすぎだよ」と笑われるくらいにアルバイトを掛け持ちしたりしてお金を稼いでいる。

アルバイトを始めたばかりの頃はもちろん、仕事に慣れた今でも、ミスをしてしまったり些細な人間関係の悩みで辞めたいと思ったことは数え切れないくらいあるし、もちろんずっと立ちっぱなし、喋りっぱなしのバイトだと肉体的にきついと思ったことも何度もあった。
でも、バイトも友達と遊ぶ予定もない休日に、勉強やあるいは何か健康的なことをするわけでもなくダラダラと動画を見たりベッドでゴロゴロしている時に、ふとこの暇な時間を何かに使いたいな、と思うのだった。そこで思いつくのはやはり働くことだった。そしてその度に、休日なのに働くことを考えてしまうなんてなんだかんだ働くことが好きなんだなあと実感するのだ。

また、わたしが最初にアルバイトを始めた理由は、お小遣いの他に自由に使えるお金を手に入れたいというごく普通の理由だったが、働いていくうちに給料の他にも労働から得るものがあるということも知った。
わたしはこれまで、カフェや居酒屋、単純作業系や教育系などさまざまな職種のアルバイトをしてきたが、職種は違えど自分の仕事に責任を持たなければならないことに変わりはない。

社会人への準備期間として、本当に貴重な経験をさせてくれている

今現在、アルバイトを初めてからもう2年ほど経つけれど、仕事をしているうえで避けられない突然のトラブルやクレームに対しては、初期と比べものにならないくらい臨機応変に動けるようになったと思う。これは間違いなく成長だし、今後社会人になってもっと責任のある大きな仕事をするであろうから、そのための準備期間としてアルバイトは私に本当に貴重な経験をさせてくれていると思う。
そして、気の合わない先輩や同僚との上手い付き合い方、理不尽なことを言ってくるお客さんの流し方など、人との上手い付き合い方という観点からも学ぶことがたくさんあった。このようにアルバイトで得た経験は今後間違いなくわたしの糧になると思う。

でもなんだかんだ、わたしが働く一番の理由はお金を稼ぐためだ。同じものでも誰かに貰ったのと自分で貯めたお金で買ったのではやっぱり違う。自分で苦労して貯めたお金を自分のやりたいこと、あるいはなりたい自分になるために使うことによって何ものにも変え難い大きな達成感を得ることができるのだ。