私はまだ好きだった。でも別れたかったのだ
「異性として好きじゃなかったけど、付き合ううちに好きになると思って」
初めて二人で行く英国屋で、コーヒーを見ながら当時の恋人はそう言った。人として好きだったよもちろん、と付け加えられた。
「まだ若いから大丈夫だよ、ねぇ」
眼鏡をかけなおす仕草はその時も愛おしく感じる。私はロイヤルミルクティーを飲みながら、目の前にいた恋人に振られた。
当時の恋人は私よりも年上で、勉強が嫌いで優しい人だった。
喫茶店で別れを告げられて、何気ない話をしてお店を出たら、また先輩と後輩に戻ることは分かっていたし望んでいた。悲しいよりも切なくて、どうしようもなくて駅まで走ったことを覚えている。
当時の恋人と別れた話をすると、みんなはなんて言っていいか分からない顔をしていた。私がまだ好きだったことを知っていたのだろう、でも私も別れたかったのだ。
なぜ当時の恋人は好きな相手に告白しなかったのだろうか
当時の恋人からの別れの言葉よりもずっと前から私は傷ついていて、自分のことを好きじゃないのに付き合っていることを、私は死ぬほど分かってた。
当時の恋人は、いつも私じゃない人へ視線を向けていた。付き合っていた時も、ずっと私じゃない人を見ていた。その視線は、いつも同じ相手で私もよく知る相手だった。
当時の恋人よ、あなたが私じゃない違う人が好きだったことくらい知ってるわ、ただ漏れなんじゃ。私の恋心を自分に慰めに使うんじゃねぇよ。なにが若いからまだ出会いはあるよだよ、好きだって言ったくせに、っていつか再会したら言ってやろうと何度も妄想してる。
もう当時の恋人のことを好きではないけれど、時々思い出す。思い出すたびに思うことは、なぜ当時の恋人は好きな相手に告白しなかったのだろうかという、答えが返ってこない質問である。
裏切られた、恋心を利用されて悔しい、とかは、今はあまり思わないけど当時の恋人の好きな相手に向けた恋心が届かないのはちょっと悲しく感じる。
言葉よりも仕草や視線が人の感情を語るのだ
隣に私がいるのに、当時の恋人はその好きな相手ばかり見つめて、その横顔はまさに恋をしている人の顔で、眼鏡のフレームが眩しく感じた。ずっと好きな相手の喜怒哀楽に集中している顔はおだやかで嬉しそうで寂しげで、そっと隣にいたくなる。
私がこんなにも見つめていたことを当時の恋人は知らないであろう。好きな相手を見つめてる間、あなたのことを好きな私がたくさん見つめているのだ。多分、あなたが好きな相手を見つめてるよりもっと見つめていた、って書くと気持ち悪いかもしれないが、あんなに恋してる人の顔を見つめていた時期はない。
当時の恋人は、私と恋人になれば好きな相手を気にしない生活になるとでも思っていたのだろうか。
そう思っていたから付き合ったのだろうけど、せめて他の人が好きだという感情を隠そうと努力しろよと思うけどそんなの無理だって分かる。私も隠せなくなって、デートを申し込んだり、手を繋いだりしたのだ。
好きという感情は意識した途端に、手に余るし溢れてしまう。厄介だと思いながらもこの感情はいつでも大切にしたいし、この恋もいい思い出になることを祈ってる。
言葉よりも仕草や視線が人の感情を語るのだ、嘘をついても行動に好きが溢れていることもある、とこの恋を踏み台にして知った。