「ああ、検定に必要ないから家に置いてきちゃった」
 悪びれる様子もなく、私に一言が刺さった。私はもう十分に限界だった。「そう。じゃあね」と一言残し、私は1人浜松町から帰りの電車に乗った。

急に彼氏を連れてきた。心の広い私は「仕方ない」と受け入れた

 今でも思い出すたびに腹が立つ。あの二日間は散々だった。
 ネイリスト検定を受ける友人に、毎週土曜日、半年ほど爪を貸していた。私は爪を伸ばさなければならないため、ずっとギターは弾けないし、飲食店のバイトも出来ずにいた。土曜日にあるサークルにも参加できていなかった。それでも別に、彼女と会えることや話すことが楽しかったので良いかなと思っていた。彼女は小学生以来の付き合いで、家も近所で、8年間1番遊んだ仲であった。シングルマザーで大変な中、彼女に手に職をつけて欲しいとネイルの専門学校に通わせた彼女の母親のこともよく知っていた。そんな彼女との仲が大きく変わったのは、昨年の10月のこと。
 夏に彼氏ができたらしい彼女が、急に彼氏を私の家に連れてきた。元々ネイリスト技能検定のある日で、前日から私の家に泊まる予定だった日だ。女子校女子大の私にはビビるものだったが、心の広い私は連れてきてしまったものは仕方ない、と思い家にあげた。それがダメだった。

いや初対面ですけど。心の広い私は「うーん、いいよ」と言った

 まず一つの違和感、2人が持っているビニール袋の中身だ。豚肉とパスタの乾麺と生卵とネギなどなど。勝手に私の家の冷蔵庫を開け始めたのである。他人の家の冷蔵庫は勝手に開けてはならないと、親に習わなかったのだろうか、と衝撃だった。「どうしたの、それ」と私が聞いたら、「あ!Aくんが料理振舞ってくれるって!キッチン使っていい?」と彼女は答えた。

 いや初対面ですけど。キッチン使って良いか今聞かれたばかりですけど。ダメって言ったら材料どうするのですか、と私は頭の中で悶々と考え、心の広い私は「うーん、いいよ」と言った。2人が楽しそうに私の家のキッチンを使って料理していたことと、高いごま油を勝手に多めに使われたのは覚えている。その後振る舞われたパスタは記憶がない。
 ふと彼女が、「コンビニ行って良い?」と言った。私の家はオートロックなので、鍵がないとマンションにすら入れない。そのため、私は彼女に「そこに鍵があるから持っていきな」と言った。よく泊まりに来ていた彼女は勝手を知っていた。男の方は、彼女が行く予定だったライブに代わりに行くためについてきたのだと思っていたが、ただ何もなく私の家までついてきたようだった。なんだこの人は、と思った。

自分たちが何をしたのか、分かっていない。怒りたかったが、堪えた

 その夜、男の方は廊下に寝てもらった。朝起きると、昨晩はなかったゴミがあった。「なにこれ、」と呟くと、「ああ、夜中にコンビニに行ったんだ」と普通の顔で返された。私の家の鍵を勝手に持って行ったようだ。

 初対面の男が。流石に怖かった。彼女は「そういえば行ってたよね~」と言った。彼女の神経も疑った。ここ、私の家ですけど。自分たちが何をしたのか、何も分かっていない様に本当に怒りたかったが、この後検定本番が待ち構えていた。彼女の母親の苦労を思い、ここで雰囲気を悪くして学費や受験料がおじゃんになるのは良くない、と考えて、私は堪えた。男は渋谷を散歩する、といなくなった。

私のことは何も考えてくれないのか。悲しくなって、もう限界だった

 検定内容はうろ覚えであるが、確かジェルネイルで右の中指の爪を長くするものだった。私はコンタクトを中指で取るタイプのため、その長さだとコンタクトが取れなくなってしまう。検定が無事終わった後、彼女に「これ落としてもらえるんだよね?」と聞いた。彼女は、「ああ、検定に必要ないから家に置いてきちゃった」と言った。ここまで色々協力してきたのに。私のことは何も考えてくれないのか、とひどく悲しくなった。もう限界だった。彼女は、「100均に落とすやつ売ってるよ」と付け足し、筆記試験へ向かった。私に買えと言うのか、と思った。親しき中にも礼儀があって欲しいものだ、と思った。8年間の絆はたった2日間でなくなるものなのか、と思った。電車の中で彼女のSNSをミュートにした。付き合う男で女は変わるのだな、怖いな、と思った。何か失った気がした。
 ちなみにその後行った100均には売っておらず、ドラッグストアを2箇所回ったら700円のものがひとつあった。たった一本の爪、たった一回分であるが、コンタクトを落とすためにそれを買った。