恋が始まる前からふられているようなものだし、そもそも気持ちを正面から見ていないから、私の恋は始まっていないのと同じだ。しかしどこか振られた様な感覚。
勝手に一人で私はふられている。そもそも恋心だったのかもわからない。ただ何となく関わるだけで終わる。本を勢いよくバタンと閉じた様に想いの自然消滅が勝手に行われる。小説ならば全く面白くない結末だ。
「ふった理由、ふられた理由」、それはそもそも私が“好き”な気持ちと真剣に向き合わなかったから。

いいなと思ったとき、それは恋愛対象なのか、”人として好き”なのか

そもそも恋とは何だ?
どこから恋で、どこまでが恋ではないのか?
昔、恋の哲学書のような物を読んだが、内容がイマイチ入って来なかった。
恋を定義しようとすると寝られなくなってしまう。言葉では言い表せられないものであるのは確か。

私が人をいいなと思った時、それが恋かどうかは全然わからない。私の中で、恋愛対象ではなく、“人として好き”という想いもある。だから、いいなと思った人が、単に“人として好き”なだけなのではないか?と疑問に思ってしまう。
高校時代迄は好きな人がいた。だが、その“好き”も今となっては本当に“好き”だったのか?と疑問に思う時がある。
大学生以降はというと、出会いがなかった訳ではないが、恋愛事と呼べそうなことはありそうでなかった。
勉強に友だち、バイト、趣味、やりたいことが山ほどあったため、恋愛している暇はなかったのだ。

とある同い年の人に、
「恋愛しないで生きていけるってすごいね」
と言われた。口には出さなかったが、「恋愛しないと生きていけないってすごいね」と思ってしまった。私には、恋愛しないと生きていけないという感覚に想像がつかなかった。
世の中には様々な人がいる。私と他人、違っていて当たり前だ。

想いが膨れそうになっても自分の中の自分に無かったことにされた

“人として好き”とはまた違ってこの人いいな、と想ったことはある。それがそもそも恋かは自分でもわからない。

相手は、戸籍上男性で左手の薬指に結婚指輪をしていたり、私と同じ戸籍上女性でしかも異性のパートナーがいるノンケだったり…。他にも様々な人がいた。
結婚指輪をしている人に対しては、不倫などもってのほかだと思っているので、指輪見た瞬間冷めた。いい人で終わった。
ノンケに対しては、想いを伝えることが本当に難しい。相手に拒絶される可能性があるからだ。今ではLGBTQという言葉が日常的に使われているが、まだ言葉すら知らない人もいる。想いの伝え方がまずわからない。何も行動せずに時間だけが流れた。そして想いの自然消滅。小説にしたら短編で終わってしまいそうだ。

想いが膨れそうになっても自分の中の自分に無かったことにされた。“された”より“した”の方が正しいかもしれないが。

自分が感じる“好き”に真剣に向き合わなければ、また繰り返すだろう

だから、私の恋はあったとしても始まる前から終わっている。
就職してからもだ。新たな環境に慣れてから、“出会い”の場へ複数回足を運んだのだ。いいなと思えば連絡先を聞くこともした。しかし、一歩進めず、連絡先はただ持っているだけになった。「ご飯行こう!」という連絡は当初はあったものの、いつの間にかトーク履歴から消えた。LINEの友だちから消えた人もいる。
 
私は恐らく、自分が感じる“好き”に真剣に向き合わなければ、同じ事を繰り返すだろう。ふられて当たり前が日常茶飯事化しそうだから、そろそろ真剣に恋をしてみたい。できるかどうかはわからないが。“恋に落ちる”とよくいうが、“恋に落ちる”という感覚が私にあるのだろうか、定かではない。

恋とは何だ?その問いに答えを見つけなくても良い。しかし、いつしか“好き”だと思う人に想いを伝える時がくれば良いなと思う。