想いを告げる理由がすべて、今より特別な関係になりたいからとは限らない。
19歳で入った職場で恋をした。相手は11歳年上の上司。
とにかくぶっきらぼうで無愛想、新人には挨拶すら返さない。
その彼と親しくなることは職場に慣れたことの証、一種のステータスであった。
『先生と先生のことが大好きな生徒』みたいな関係のまま、5年過ぎた
入社から1年、仕事にも慣れたとある日、無愛想の権化である彼の方から世間話を持ちかけられるという奇跡の瞬間が訪れた。
彼からすれば一瞬の沈黙に対する場繋ぎだったと思う。
しかしわたしはそれを必要以上に喜んでしまった。感情の矛先がぐにゃり、と曲がった瞬間だった。斯くして、彼を目で追う生活はいとも簡単に始まった。
彼は、親しくなってみると少年みたいな人だった。
わたしが懐いていることは周りも本人もわかってた。彼はわたしに甘かった。
『先生と先生のことが大好きな生徒』みたいな関係だったけど、間には少女漫画のそれのような甘い雰囲気なんてない。せいぜい勤続年数分の信頼くらいだ。
そのまま、5年過ぎた。
これがただの恋ならば、わたしは5年間も待たない。もっと早くに踏み込んだ。
わたしにはこの期間ずっと、恋人がいた。入社するより前から。
恋人の存在は皆も知っていたし、結婚の話もしていたし、周りから羨まれるくらい仲良しで、そこに一切の問題も不満もなかった。その安定した生活を壊す気も度胸も到底ない。だから職場の彼とはどうこうなる気もなかった。
そもそもあなたと一緒になっても幸せになれなかった気がする。
わたしと彼の関係は正しかった。わたしの一方的な感情以外は
幸せな未来が透けて見えるような"安定"のひとと出会えたそのあとに、プライベートの寸断された場所で"本能"のひとに出会ってしまった。惹かれてしまった。それが真実だった。
結局ずっとわたしと彼の関係は正しかった。わたしの一方的な感情以外は。
わたしが退職を告げたとき、あなたは「またまた、嘘でしょ」と笑った。
引き止めてくれてもよかったのよ。あのとき。
最終日前夜、小さなカードを書いた。考えに考えた短い言葉を、これ以上ないほど時間をかけて。翌日、何食わぬ顔で渡したそれを彼が開くより先にその場を去った。
無事任務を遂行したあとは清々しかった。こんな気持ちになれるなら伝えてよかった。
彼本人が知ることで、5年間の思い出は事実になる。それだけで報われた。返事なんて貰う気もなかった。けれど、丸2日後の深夜、彼からDMが届いた。一瞬で、息の吸い方を忘れた。
彼は、わたしの気持ちを都合よく悪用するでもなく、恋人がいるのにこんな行動を取ったわたしを咎めるでもなく、むしろそのことは一切触れずに、自分を好いてくれてありがとう、と言った。
ちゃんと恋をしていたことだけを、彼は受け止めてくれた
『ああ、大人だ』って思った。わたしの知らない姿だ。精神年齢小3って散々揶揄ってたのに。否定も肯定もせず自分の意見も一切載せず、ただわたしが想いを告げずにはいられないくらいちゃんと恋をしていたことだけを受け止めてくれた。斯くして、正しくないわたしの5年に及ぶ片想いは正しい終わりを迎えた。
半年後、彼は転勤が決まり、そのさらに半年後、わたしは8年付き合った"安定"の人と結婚した。
正しい終わりと句点を打ったその恋を今、考える。恋の終わりが忘れることならば、まだ終わっていないことになってしまう。いまも、褒めてくれた腕時計を替えられない。
あなたがエッセイなんて読む人間じゃないことはわかりきってるから、きっとこの1500字が目に触れることもないでしょう。
擬かしさと甘苦さ、そして一縷の罪悪感で少し重くなりすぎたこの想いは、あなたに届かず宙に浮く、そのくらいで丁度良いのかもしれなかった。