20歳を過ぎた頃から、恋愛をしてみたいという気持ちが少し強くなった。それまでも今も、誰かと付き合ったことはない。もっとも、私にとっては学業や仕事の方が恋愛よりも優先度が非常に高いので、それはごく自然なことだった。

「恋愛ができない」より、「恋愛に踏み切れない」のはなぜ?

20代前半、恋バナの1つや2つがあってもおかしくないんだよな、と思う。
でも、それがない私は「恋愛してみたい」と思うと同時に、「じゃあなぜそう思うのか?」「恋愛しない、できないのはなぜ?」とも思ってしまう。恋愛したいのは、みんながしてるから?恋愛が羨ましいから?私に恋愛がないのは、出会いがないから?最優先事項じゃないから?人付き合いが苦手だから?

結論としては、たぶん、私の心の奥底に「子ども時代の不足を補いたい」という思いがあるから。
だから、誰かと恋愛するにはまっすぐな動機じゃないし、何より相手はそんな私の気持ちを満たすために存在しているわけではないので、相手に対して人として失礼である。
そんな考えが根底にあるから、私は「恋愛ができない」。というより、「恋愛に踏み切れない」と言った方が正確だろう。
「恋愛したい」のも「恋愛に踏み切れない」のも、結局私は恋愛を通して子どもの頃に満たされなかったことを満たしたいと思っているからである。

時が経つほど穴は大きくなった。時間が癒してくれるだなんて、嘘だ

そう気づいたのは最近の話。もともと探っていたわけではない。
気づいたきっかけは、元を辿れば、18歳頃から心身の不調が悪化し、自分の性格や人間性に違和感や欠落を感じたことである。
この一連の話はまた別の機会に話すこととしたいが、この違和感や欠落がどこからくるものなのか疑問に思った私は、これまでを振り返りながらいろいろなことを調べてみた。結果、子どもの頃のある体験に大きく由来するのではないかという答えに行き着いた。

不安定な家庭に育った。大人たちの対立に飲まれ、自分や家族の身に危険を感じることも少なくない少女時代だった。いつ何が起こるのか、明日はどうなるのか、家族の誰かがいなくならないか、いつ自分はひとりになるのか、そんな不安が常に付き纏っていた。自分さえいなければきっと家族は幸せになれると思っていたし、自分が一体誰に望まれた命なのかよくわからないと思っていた。

居場所がほしかった。
安心できる時間と場所がほしかった。

満たされずにぽっかり空いた穴を持ったまま大人になったけど、不思議なことに、この体験の渦中にはもういないのに、時が経てば経つほど穴は大きくなる。不意に過去に引き戻されるし、なぜか苦しさは増すばかりである。時間が癒してくれるだなんて、嘘だ。

誰かと一緒に歩んで、支え合って、幸せに生きることを諦めたくない

居場所がほしい。安心がほしい。愛されたい。
きっと私は、そのために恋愛したいと思っている気がする。
私にとってそれは結局、子ども時代に満たされなかったものを補いたいということにほかならない。

そんなの、本質的に恋愛じゃないし、自分の過去のことを補ってもらいたいだなんて、相手に失礼だよね。
恋愛したいけど、こんな感じでは、そんな資格、あるのかな。

という具合に、恋愛をすることに非常に躊躇してしまう。

解決策はまだ見つかっていない。
そもそも、きちんと自分の体験に向き合って、立ち直り、人として変わっていくことが一番必要な気がする。
ちなみに、冒頭にある学業や仕事の方が恋愛より優先度が高いというのも、子どもの頃の体験に由来する、思考の傾向である。人付き合いが苦手(周りはそう思ってないかもしれないが)なのも同様である。 

誰かと一緒に歩んで、支え合って、幸せに生きることを諦めたくはない。
自分のペースでいいから、向き合って、立ち直って、変わって、その先に一緒に歩んでくれる人がいればいいなと思う。
それはもう、どんなにささやかな日常でも私にとってこの上ない幸福である。