高校1年生の時に好きになって、それから1年間片思いしてやっと付き合った相手だった。イケメンでスタイルも良くて、優しくて思いやりもあって、見た目も中身もハイスペックな人だった。私にはもったいないくらいだった。

やっと付き合えた彼との遠距離恋愛。あんまり会えなくても幸せだった

片思い中、何度も何度も諦めかけた。私のことなんて好きじゃないんだろうなって、人気もあるし、ライバルも多いし。それでも優しくされたら諦めきれなくて、お祭りに花火大会、カップラーメンミュージアムに美術館、東京タワーとか色んな場所に誘った。
なんでか分かんないけど、君は断ることを知らなくて、全部にOKをくれた。君は結構優柔不断でちょっと女々しい、高校2年生の5月にされた告白も、なんだか誘導したみたいだったかもしれない。

それでも付き合ってからはすごく私のことを大切にしてくれた。クリスマスや誕生日には手紙もくれたし、私が受験で辛い時もずっとそばで応援してくれた。
きっと誰よりも応援してくれたし、背中を押してくれた。おかげで無事に大学に進学、私は地元から離れた場所に1人暮らしすることになった。
大学生になってからはコロナの影響もあって、私たちはあんまり会うことができなかった。けれど、大学の授業はなかなか始まらないし、始まってもオンラインで暇を持て余した私達は、週に何度も電話して話をした。
私の誕生日は会えなかったけれど、おそろいの時計を貰って十分幸せだった。

大学1年生の夏には、彼がこっちに泊まりに来てくれた。3泊4日、会えなかった分の時間を埋めるように沢山話して、沢山一緒に過ごした。あっという間だった。この時間が一生続けばいいのにって思った。

けれど、その後からだった。歯車が狂い始めたのは。大学1年生の秋に私は地元に戻って、そのうちの2日間彼と遊んだ。色んなところに出掛けたし、それなりに楽しかったと思う。

なんか物足りない気持ちはもやもやに変わり、考えは悪い方向に

でも、なんか物足りなかった。1年半も付き合ってるし、こんなもんなのかな、その時はそう思ってた。彼はもともと奥手な人だった。自分から手を繋いでくることなんてほとんどなかったし、ましてや自分からキスやハグをしてくることなんてないに等しかった。デートプランを考えたこともなかったし、行くところは全部私が決めていた。
1度悪い方向に考え始めちゃうと止まらなくて、地元から戻った後ももやもやした気持ちがずっとあった。そういえば、彼から電話してきたことなかったな。いつも電話するのは私だったな。
クリスマス、彼が会いに行きたいと言った。断る理由もなくて、気付けば12月25日。
彼とすごした3泊4日の間、私が「本屋さん行きたいんだよねー」と言うと『行ってきなよー』と彼は言った。「ショッピングモール行かない?」と言うと、『寒いからなぁ』と言った。「どこ行きたい?」『そっちの行きたいところでいいよ』「何食べたい?」『そっちは?』…彼はそんなつもりなかったかもしれない。
でも少しずつ、でも確実に、私の心は離れていっていた。3泊4日が終わりがないくらい長く感じた。そういえば、2日目の夜だっただろうか、『ごめん、お風呂入ってたら石鹸割っちゃった』と言われ「そっかー、そういうこともあるよね」って返した何気ない会話だった。
こんな些細なことがきっかけになるのか分からないけれど、この瞬間、私はもう彼とは長くいられないと思った。好きじゃなくなると、些細なことが気になるってこのことかな。石鹸が割れたのと同じように、私たちの関係も割れたようだった。

会えない時間が愛を育むって言うけれど、会えない時間は愛を育まない

倦怠期とかマンネリとかそういう言葉で表せたらよかったのかもしれない。もしかしたらそういうのを乗り越えられなかっただけかもしれない。優しい人だった。いつも私のことを優先してくれた。けれど、その優しさが仇になった。会えない時間が愛を育むってよく言うけれど、それは違う。その愛はどちらかが行動を起こさないと続かないし、何も変わらない。会えない時間は愛を育まなかった。

年が明けて1月。悩んだ末に私は彼に別れを告げた。彼は何も言わなかった。ただ「そっか」というだけだった。意志は固まっていたけれど、1度でいいから、別れたくないと言ってくれていたら、離れたくないと言ってくれたら、何か変わっていたかもしれない。勝手に好きになって、勝手に嫌になって、わがままでごめんね。優しくしてくれてありがとう、私の好きだった人。