亡くなった父の人物像はいつしか記憶以外のもので補完され確立されていった

わたしの父は、わたしが小学校2年生の時にがんで亡くなった。
父に対するわたしのイメージは、「厳格」。その一言に尽きる。

たとえば、わたしは幼い頃、にんじんが苦手だった。ある日の夕食でカレーに入っていたにんじんをよけていると、目ざとい父は「食べなさい」とわたしの食べ残しを注意した。
しかしわたしがイヤだとごねると、父はわたしを縁側に放り出した。しかもわたしは、肌着しか身につけていなかったというのに。

そしてこれは母に「あなたの記憶違いだ」と言われるのだが、その時父は暴れるわたしをベルトでしばりつけたのだ!
確かによく考えてみると、そこまで過激なしつけをするような人ではなかったような気もするが(父に可愛がられていた記憶もきちんと残っている)、とにかく父はわたしを厳しく育てた。

そして父は、とても頭の良い人だった。
父方の母、つまり祖母からは、「パパは子供のころ神童って呼ばれていたのよ」と飽きるほど聞かされた。

父は実際に、現役で東大に合格するほどの頭脳を持っていた。わたしが成長し、それが「すごいこと」だと理解するようになると、プチ自慢として幾度となく利用させていただいた。
父が亡くなったあと、周囲の人びとから父が生前どれほど素晴らしい人間だったのかを聞かされてきたせいで、父の人物像は記憶以外のものでどんどん補完され確立されていった。
真面目で賢く、人望が厚い。
父のいない時間のほうがずっと長い人生だったのに、わたしはそんな父をとても尊敬していた。

想像もできない父の姿を知った時、いつしか美化されていたことに気づいた

先日、母と近所のピザ屋へ行った。マルゲリータとクワトロフォルマッジを分け合いながら、話題はわたしの妹の酒癖の悪さになった。
わたしの妹は、まったくお酒を飲まないわたしとは対照的にお酒が大好きだ。終電を逃して深夜にタクシーで帰宅することもしばしば。そして最近、妹はお酒で大失敗をした。かばんをタクシーに置き忘れたのだ。もちろん、財布や学生証など、貴重品はすべてそこに入っていた。

すぐにカードを止め、学生証は再発行。しかし財布に入っていた現金5000円(と本人は言っているが実際いくら入っていたかは不明)や財布自体は戻ってこない。母は怒り心頭。
「誰に似たんだか」
笑いながらわたしが言うと、母はすぐさま、「パパに決まってるでしょ」と返した。

確かに父もお酒が大好きだったと聞いている。しかしいくらなんでも、妹のような飲み方をしていたとは思えない。
「いーや、パパもひどかったんだから。酔っ払って知らない場所に行っちゃったって電話がかかってきて、『何が見える?』って聞いても『なんかー、赤い光が見えるー』としか言わないんだから」

母の暴露にわたしは「うそー!」と驚いた。
わたしの知る父からは想像もできない。

「もっとすごい話もあるよ。酔っ払って帰ってきて、間違えてうちの玄関じゃなくて隣の家の物置を開けて、なんとそこでね…オシッコしちゃったの!」
わたしは思わず吹き出した。
あの父が、そんなことをするなんて!

「本当にパパはお酒好きだったなー。出張に行っても、帰りの新幹線では同僚とか上司の分も冷凍みかんと缶ビール買って『一杯やりましょう』って言って」
これまで持っていた父のイメージが一気にひっくりかえるエピソードの数々。
亡くなった父は、どうもわたしの中でかなり聖人化されていたようだ。

大切な人を失う悲しみから、私たちは必要以上に思い出を美化するのかもしれない

幼くして父を亡くしたわたしに対し、周りの人たちは父の良い部分、素晴らしい資質をていねいに語ってくれた。
そのおかげでわたしは父に憧れる娘でいることができたが、一方で彼のダメな部分や人間らしさをすっかり見落としていた。

父はタバコを吸い、競馬が好きだった(賭けてはいなかったけれど)。ドラクエのファンで、家の本棚には攻略本がずらりと並んでいた。
大切な人を失う悲しみから、わたしたちはもしかすると、必要以上に思い出を美化してしまうのかもしれない。

わたしっていくつになっても全然父のように立派な大人になれないなあ、と常に思ってきたけれど、父のように愚かな大人の失敗をいくつか重ねて、どうにか今日まで生きてこれたことを知った。

善も悪も織り混ざったその人の複雑な形状を受け入れて、「どうしようもない人」と笑えることだって、美しい記憶のしまい方なんだ。
父は学生時代、小説家になりたかったらしい。本を読んだり、文章を書くことが好きだったと。

わたしは本屋に小一時間は居座るし、今、こうしてPCに向かい合って言葉を紡いでいる。
どうやらここは、父に似たようだ。