今の時代、「働くこと」でしか得られない学びも少ない

私は大学卒業と同時に、大手企業に入社し働き始めた。
そこで希望していた海外市場の担当をさせてもらい、仕事にやりがいも感じている。
だから私は自己成長のために働いている!

と、言いたいところだけれど、それは本当に仕事をしないとできないことなのか?
考えてみれば働かなくても自己成長することはできる。

本を読んだり、学びの場に行ったり、今の時代「働くこと」でしか得られない学びも少ないだろう。
それに、毎日毎日自己成長を感じられるような崇高な仕事ばかりをしているわけではない。
内部の資料作りや調整に追われて、1日が終わることもある。というか、そういう日の方が多い。
ではなぜ私は「働く」のか?

「働くことをやめたくない理由」の方が明確にあると気が付いた

そう考えているうちに、「働く理由」よりも「働くことをやめたくない理由」の方が明確にあることに気が付いた。

働くのを辞めたら単純にお金がなくなってしまう。
最初は貯金でなんとかなるかもしれないけれど、人間ひとりが生活するだけでもお金は結構かかるので、それもいつか底を突く。
結婚して旦那さんに養ってもらえば良いのかもしれないけれど、自分が自由に使えるお金がなくなってしまうのでは?という恐怖がある。
今は、週末に買い物に行って、たまに買う予定も無かったデパコスを、その場の雰囲気で買ったりしているけれど、それを誰かの稼いだお金でやるのはなんとなく気が引ける。
「誰かに養ってもらっている」という感覚が、私にとってはどこか居心地が悪いのだろうと思う。
それに、24時間やることなすことが全て家族のためになり、家族のこと以外何も知らない人間になってしまったとしたら?もし離婚して、急に社会に放り出されたとしたら?誰かに養ってもらって働いていなかった私はひとりで生きていけるのか?

誰かにすがったり遠慮したりして生きていくこともしなくて良い

私の両親は共働きだった。
学校から帰ると親がいないという状態に、母は申し訳なく思っていたようだけれど、私はむしろ嬉しかった。両親が働いていたおかげで、私は自由になれた。
「父も母も、子育て以外にもやることがある」
そう思うと、なんだか気が楽だったし、自分もそんな風に自立した大人になりたいと思った。
だからこそ、家族や子供に100%尽くすのは、逆に家族や子供の負担になるのでは?という気持ちもある。

精神的にも経済的にも自立した人間でいたい。
いざという時に自分の無力さを感じたくないし、誰かにすがったり遠慮したりして生きていくこともしなくて良い。
だから私は「働くこと」をやめたくない。
「私が働く理由」を考えた時、この理由が一番しっくりくるのだった。

なりたい自分や、成し遂げたいことを達成できる人間になりたい

でも、「〇〇したくないから」という理由で働いているのも、なんだか寂しい気がする。
「これをしたいから働いている!」とはっきり言えるようになりたいとも思う。
ただ、「私が働く理由」を考える中で、今更ながら気が付いたことがある。
本当に大切なのは、自分がどうなりたいのか?何を成し遂げたいのか?ということ。
「働く」ことはあくまでも、それを達成するための手段である。

だからこそ私は「働く」という手段にこだわらず、なりたい自分や、成し遂げたいことを達成できる人間になりたい。
そうなることができたら、「働いているかどうか」はそこまで重要じゃないのかもしれない。専業主婦の自分でも、バリキャリの自分でも、そのどちらでもない自分でも、自信を持っていられるはず。
「私が働く理由」を考えながら、ちょっと新しい気づきが生まれたのだった。