完璧主義。
私が物心ついた頃から患っている病だ。
完璧主義というと、『ミスをせず確実に成果を出していく優秀な人間』といったイメージがあるかもしれない。実際に世の中には完璧主義で成功している方もいるのだろう。
でも、私の場合はそれはマイナスにしか働かなかった。もしかしたら、私と似た症状でお困りの方もいるのではないかと思い、自分なりのこの病との付き合い方を書くことにした。
まず、行動が遅い 。
何かに取り掛かるとき、あれをしてこれをして…と考えていると、意外とステップが多いことに気付いて、面倒臭くなって何も出来なくなってしまう。
また、周りからの自分の評価が気になる 。
減点方式で考えてしまうから、何かミスをした時に「仕事出来ないやつだな」とか「こんなこともできないのか」とか思われて、自分に仕事なんて任せてもらえなくなるのではないかと思う。同期より自分が不出来だとか、この仕事に適性がなかったのではないかと考えてしまう。そして、失敗が怖くなり身動きが取れなくなってしまう。
そして、理想が高い。
他の人に指摘されたのだが、私はどうも理想が高いらしい。人並みに出来る様になりたい、と思っているだけなのだが、それが100点の理想型だというのだ。昔から自分の要領の悪さにはうんざりしていたし、自分に対して周りはいつも上手くいっているように見えるのだった。
「完璧主義」はどうやら不治の病らしい。うまく折り合いをつけるしかない
まとめてみると、自分のしょうもなさを改めて感じる。何度も直したいと思ったけど、どうやら不治の病らしい。うまく折り合いをつけて付き合っていくしかなさそうだ。
立ち止まっては考え込んで、悩んでしまう自分でも、今日までなんとか歩んでくることができたのは、周りに優しい人たちがいたからだった。
悩みすぎて、色々億劫になって、連絡が疎遠になっても、変わらずに私に連絡をとってくれる人達がいた。連絡が疎遠になった理由としては、不安を吐露したら嫌われてしまうとか、情けない自分を晒したくないとか、全て自分のしょうもないプライドを守るためだった。
「そんなことだろうと思っていた」
付き合いが長いからだろうか、そう声をかけてもらった時は自分はひとりではなかったのだと気付かされた。
「ひとりじゃない」
誰とも話したくないし、会いたくないと思っていたのに、その言葉をもらったら自分の周りにいてくれた人にたくさん会いたくなった。
コロナという状況もあり、ますます閉鎖的になっていたようだった。密を避けて外で話したり、会えなくても電話で話したりしているうちに、少しずつ重たい気持ちが和らいでいくのを感じた。
誰にどう思われるかなんて考えても仕方ない。後回しにするのはやめる
後回しにするのはやめた。自分の理想通りじゃなくていいから、とりあえずやってみる。
誰にどう思われるかは考えたって仕方ない。
「自分が想像することが、現実と同じとは限らない」これは大事な人がかけてくれた言葉だ。
高すぎる理想は自分を苦しめる。人並みになりたいと望む私だが、やはり不器用な性格は変わらない。出来ないことばかりに注目してしまって、周りと比べて焦ってしまう。
だけど、それぞれ適性があって、向き不向きなんて考え出したら、おそらくキリがないだろう。きっと私にも、他の人が出来ないことが出来たりするのだろう。それが何かはよく分からないけれど、これから見つけていきたい。
実はこの記事を書くのも、私にはハードルが高かった。上手くまとめなければと思うからだ。
だけど、自分と似た症状の人がこの記事を読んで、少しでも参考になることを願うばかりである。