「一緒に過ごせる時間が増えて嬉しいなって思うよ」
彼女にとっては何気ない返事であったろうが、それが私を変えた一言だった。

遅れたら相手を侮辱していると思ってしまう

私は、時間に厳しい方だ。待ち合わせの時間に早く着いても、遅れることはない。この電車に乗れば駅に約束の30分前に着く、そこから待ち合わせ場所まで歩けば多く見積もって15分で…よし、大丈夫だ!という風に前日から時刻表を検索しては、多少トラブルに見舞われたとしても遅刻しない完璧なシュミレーションを組む。なので実際は大体約束の10分前には現場で待機している。

だって、遅れたら相手を侮辱していると思ってしまうのだ。相手のことを軽んじているから、どうせ謝れば許してくれるし怒っても怖くないから遅れても大丈夫だと思っているのだろうな、と。だって会社には遅刻しない上に15分前に出社する癖に、プライベートではどうしても遅刻してしまうなんて、完全に舐めている証拠ではないか。

私と映画の約束は楽しみじゃなかったのだろうか

私はそれがどうしても我慢ならずに、友達とケンカをしたことがある。恋人と別れたことだってある。特別な遅刻なら問題はなかった。交通機関で急な遅延が起きたから、仕方ないね。彼らは自分との約束を忘れないできちんと向かおうとしてくれていたんだから、怒る必要なんてないよ、と自分を慰められた。

だけど、待ち合わせ時間に来る「今起きた(笑)」ってラインは何?私と映画の約束は楽しみじゃなかったのだろうか。どうでもいいって、思っていたのだろうか。私の存在って、あなたにとってそんなちっぽけなものだったんだ。そう考えると自分が途轍も無く惨めな存在に思える。今日の日を楽しみにワクワクしていたここ1週間の私が。あのお店、きっと好きだろうから教えてあげようとか調べてた私が。どちらの服にするかクローゼットの前で30分悩んでいた私の何もかもが情けなく思えてくるのだ。

私はいつも『終わりの時間』なんて気にしちゃいなかった

という話を、最近知り合った女の子に話した。特別仲が良い訳では無くて、たまたま席が隣だったから授業前の空き時間に会話をするくらいの子だ。だから私も彼女もお互いの価値観も恋愛観も知らないまま、本当に何気なく世間話の流れで「時間に遅れる人って嫌だよね」から始めた話だった。そうしたら彼女は目をまん丸にして「どうして?」と私に尋ねた。「だって時間に遅れたら嫌じゃない?」私は戸惑いながら返す。
これまでは概ね同意だったり、あるいは相手が遅刻する側でその理由を述べたりすることが多かったので、純粋にどうしてと聞かれたことに驚いていた。彼女は私の質問にうーん、と少し考える素振りを見せてからこう答えたのだ。

「一緒に過ごせる時間が増えて嬉しいなって思うよ」

その答えを聞いた時の衝撃と言ったら、まるで雷に打たれたようなものだ。私はいつも『始まりの時間』だけを気にして『終わりの時間』なんて気にしちゃいなかった。始まりが遅れたら、その分終わりも短くなると当たり前のように思っていたのだ。だけど、そうじゃなかった。始まりが遅れたのならば、終わりも遅らせれば良かったのだ。
「遅れてごめん」そう言って相手がへらりと笑ったのなら、「何その態度?」とか「本当に悪いと思ってるの?」と言って怒るんじゃなくて、「遅れた分長く一緒にいようね」と言えばお互いに良い結果になるはずだったのだ。

自分の気持ちに折り合いをつけられず彷徨っていた私の心が消えていく

あの時怒りすぎたと思っていても、自分の気持ちに折り合いをつけられず彷徨っていた私の心が消えていく。ああ、これをもっと早く知っていれば、あの時疎遠になった友達や恋人とも今も続いていただろうか。そんな寂しさもあるけれど、過ちは取り返せない。

ちょっとだけ悲しい気持ちを抱えながらも晴れやかな気分だった。「ありがとう」と私が言うと「なんのこと?」と彼女は笑っていた。その笑顔に救われた気がした。