私は、“あなたが好き、だから好き、大好き”と言い続けさせてほしいという欲求が人より強かった。それに肌と肌を重ね合わせて、“世界でいちばん好き!”と私が好きになれる相手に対して、全身で伝えても良いと許容してくれる相手をずっと待望していた。
そういう人に出会ったらもうなんにもいらないと思っていて。もしも、そんな相手が見つかったら、絶対、相手を可能な範囲で、幸せにしたいと決心していた。
しかし、“好き、大好き”と伝えられる相手が見つかったとしても、人生すべてそれでハッ
ピーエンドにならない。
がんばって、がんばろうとして、気持ちがくじけてしまった
けど、そんな相手が実際にいたのだから、リアル現実なんてよくわからないものだ。
出会ってその人から私への好意をすごく感じていて、半年後に、私からの告白で、相手の強い希望で、結婚を前提にしたお付き合いが始まった。
その当時、私は猛烈に毎日、感動しまくっていた。
「好き、大好き」を伝えて、「うん、俺も」と、確実に返ってくる、この関係性に。
すごく身に余るほど幸せで、嬉しかった。
けども、一年でその関係は終わる。
何故かというと、正直よくわからない。がんばって、がんばろうとして、気持ちがくじけてしまったのだ。
“好き、好き、大好き”と私が言う言葉に対して、“じゃあ、浮気して良い?”、“じゃあ、ホテルへ行く?”と不安になる言葉や身体目的だけの言葉が返ってきて、疑心を生じさせる内容が増えていったからだ。
すなおに、同じように“好き、大好き”ではなく“じゃあ、する?”と性愛へ結びつけるような言葉に、居心地がだんだんと悪くなり、彼へ会うのがこわくなってしまった。
好きだと伝えたら、“あ、したいんだな”と思われたり言われたりするのがなんだか嫌だったのだ。
私は、実は、身体と精神の障害持ちで、この彼を失ったら、他にいないと思ってて、だから、別れるを選ぶとは、結婚という安心をもらえる相手を自らドブへ捨てるのと同等だった。つまり、一生、ひとりで生きていく覚悟をする必要があった。
きっと付き合い続けてたら、彼を人生のどこかで裏切らせてしまう
一生、ひとり?
それがずっと怖かったから、我慢を続けて、笑って誤魔化したり、嫌だと率直に言って改善を試みようとした努力もしたり。けども、どれも徒労に終わってしまった。なにをしても、彼はすぐにわたしとしたがり、会話がすぐ、“じゃあする?”と直結するかたちになることがほぼになったとき、私の中でなにかが崩れた。
忍耐だけが募っていくたびに、いよいよ、「あ、だめだ。今は良い。これが、10年、いや5年続いたら、きっと刺してしまう」とニュースでやっている男女の痴情のもつれを思い出して、“人はそのように思ってしまうこともあるのだ”と、痛感した。
こんな不健全な思いを抱いてしまった時点で、人としてどうかと思った。
胸がちぎれるほど、辛かった。
ありたけの、感謝を綴った手紙を書いて、渡して、帰り道、彼に送ってもらいながら、離れがたくてずっと頬と頬をくっつけて、さよならをした。そんな甘えてくる私を不思議がっていて、けども優しくされるままにしてくれた彼になにも言えないまま、電車内で別れた。
夜にLINEが来た時は、もう泣いた。
感謝と大好きという言葉をもらって。
どうして別れなきゃならなかったのだろう、とずっと後悔して、しかし、やはりどう考えても、きっと付き合い続けてたら、彼を人生のどこかで裏切らせてしまう。そうして、彼の費やした時間を無駄にさせてしまう。そして同様に、信頼してた彼がもとで、全人類に対して不信を持つのも、私にとってダメージは大きかった。
なんで、こんな幸福で地獄な時間を与えてくれたのだろうか
わたしは、彼にすごく依存してた。
だから、いなくなった後はもう困った。
依存してた先のあふれる気持ちが見つからなくて、もんどり打っていて、落ち着くまで、感情はめちゃくちゃだった。
好き、大好きを毎日、伝えて安心したくて仕方がなかったのだ。それはもう。相手は誰であって良いわけでなく、私を好きになってくれて、私が惚れる男でなくてはいけなかった。そんな条件をクリアーしていたのは、今までも彼だけだった。
好きになってくれて、好きだと言えた期間はすごく愛おしかった。
神様は一体、なんでこんな幸福で地獄な時間を与えてくれたのだろうか。
我慢すれば良かった?
いいや、我慢すれば、私は私を殺す羽目になり、それは絶対に彼のためにならなかった。
“好き、大好き”を伝えて、”好き、大好き”と返ってくる安心にずっといつまでも浸りたかっただけなのに。