私には、ふった理由も、ふられた理由もない。「ごめん」と言われる勇気すら、私にはなかった。

初めてできた好きな人。告白したわけでもないのに、間接的にフラれた

中学に入って初めて好きな人ができた。
部活の先輩で、3つ歳上で、とても朗らかで活動的な人だった。私の通っていた学校は中高一貫校だったため、私が高校一年生になるまでは先輩と関係が途切れることはなかったし、高校を卒業したあともよく連絡をとりあっていた。
しかし、4年前、間接的にフラれた。本人からではなく、誰か知らない先輩の友人を通して。

「俺彼女いてさー、気持ちは嬉しいんだけど。」
そのあとに、
「ごめん、なんか変なこと言われてない?友達が勝手に携帯触ってて」
と加えてLINEがきた。

今時携帯のロックをかけてない大学生なんていない。それぐらい常識として心得ている。
どういう意味なのか、初めは理解できなかった。
だって私、まだあなたのこと、好きとも言ってないのに。
まぁ本当に友達が打ったにせよご自分が打ったにせよ、彼女がいるっていうのは事実なんでしょうね。緩やかな関係に婉曲的な遮断方法。ゲームオーバーだ。とりあえずLINEはブロックしよう。
渦巻く虚しさと寂しさを抱えたまま、私はただ、完成してもいない想いの切り口を眺めることしか出来なかった。

嫌われたら脱兎のごとく逃げる。「反射神経系疑似恋愛」を繰り返した

今まで私が経験してきたものは、叩いてかぶってじゃんけんぽん的恋愛だったと思う。
言うなれば「反射神経系疑似恋愛」だ。反射神経系というのは、気になる男子ができたらちょいちょいと手を出して、少しでも拒否されると即座にやり取りを遮断するという私のお得意のやり口である。扉が閉まると見ればすぐに手を引っ込めるのだ。

今までも、そういうことが多々あった。「遊びに行こう」と誘ったら「みんなで行こう」と返事が来た。私は即座に遠回しの拒絶とみなし未読スルーをかまし、後ろを一度も振り返る事なく全速力で走り去った。嫌われるのが怖いから。ちょっとでも否定的に思われたなと感じたら、脱兎のごとく逃げ出すのだ。尻尾を巻いて。痕を残すことなく。

フラれたって死ぬわけじゃない。前を向いて、恋に向かっていく

4年前のあの日、もしかしたら私は心のどこかで、少しほっとしていたのかもしれない。本気で傷つく前に、立ち止まれてよかった。傷口が爛れる前に、崩れる前に、心の奥の手当てが出来ると。

でも、それは本当に恋だろうか。
自分の気持ちが傷つくことを恐れて、ただぼーっと事の顛末を傍観している。そんな心地の良いものが、恋であって良いのだろうか。落ちてくる障害物をただ避け続けるだけのスキルゲームが、恋をするということの意味ではない。拒絶にぶつかったって、一回でゲームオーバーになるわけではない。別に死ぬわけじゃないし、何かが終わるわけじゃない。曖昧を旋回しているだけでは、きっと何も生まれない。想いが未完成のままでは、逆に自分に失礼だ。錆びて冷たくなった心は、後で独りで弔えばいい。

とにかく今は、前を向く。怖がらずに、しっかりと、胸を張って。
羽ばたきの音が聴こえる。ゲームはまだ、始まってもいない。私は今、スタートラインにたったばかりだ。