シワが綺麗に伸びた大豆が、湯の中を揺蕩う。そろそろ頃合いかもしれない。熱々を1粒取り出してペシャッと潰してみる。

この手前味噌が、近所付き合いの命運を左右すると言ってもいい

毎年の正月休み、私は1年分の味噌を仕込む。その量なんと30kg、熟成した味噌は小分けにしてお裾分けするのが通例だ。この手前味噌が、近所付き合いの命運を左右すると言ってもいい。

港町の集落に暮らす私は、自分の親世代…所謂おばちゃんと渡り合わなくてはならない。なんせ私と同世代の人なんて皆無だ。過疎も甚だしい。

田舎特有の狭いネットワークはこのご時世でも健在で、無鉄砲な失言は命とりになる。皆さんこれまでの人生で姑に叩き上げられてきた強者達ばかり、それぞれが誇りを持って暮らしている。まだ30にも満たない私からすると、頼もしくも恐ろしい存在だ。

近所のおばちゃんに限らず、世代の離れた人との会話では気を遣う部分も多い。健康や美容、家庭事情に噂話、デリケートな話題も飛び交うから気が抜けない。あと、呼び方。

幼少期から〇〇おばちゃんと呼んでいた人に、先日の談笑タイムで「おばちゃんはちょっと失礼よ~」とのご指摘を受けた。冗談っぽくもあったけれど、目が笑っていないと感じるのは私だけ…?

確かに、小さな子供におばちゃんと言われるのと、妙齢の女におばちゃんと言われるのとでは大差がある。私でも嫌かも。いや~、思いも至らなかった。精進、精進。こういった失敗はたびたび起こる。

プロの闘争心に素人が火を付けてしまった。味噌の異文化交流に発展

多分、おばちゃん達の間で私の評価は45点てところ。失敗するたびに何点かマイナスされて、たまに跳ね上がってみたり、そんなことの繰り返し。

数年前、私の手前味噌を数人のおばちゃんにお裾分けしたら、どうしたことか可笑しな展開に転がった。村の中でちょっとした味噌ブームが起こる。「我の手前味噌こそが最上なり!」と声を上げる人多数。

プロの闘争心に素人が火を付けてしまったようだ。味噌が熟成する秋頃になると、皆さん一斉にご自慢の手前味噌を持ってわが家に会する。各々の味噌を交換して味の品評会。茶褐色な濃厚派、麹多めの甘口派、麦味噌派、もはや味噌の異文化交流。

何故かそこで、いつも聞かれることがある。「さあ小娘、どれが1番美味しいのかね??」勿論こんな口調ではないけれど、圧を感じる質問。集まった人の顔を一周しても、圧、圧、圧。「どれも美味しくて迷っちゃう」と返すことで無難な道を選択。且つ方々から私の点数がチャリンと下がる音を聞く。

もうすぐ29歳の私。年上の人に無条件で愛でられることに飢えてきた

意外にもおばちゃん達は『味噌の会』を例年楽しみにしてくれているようで、現状私も45点をどうにか維持できている。お喋りでは到底深めきれない仲を、別のもので埋めようとしている私はあざとい。

たまに圧を感じても、実際おばちゃん達は情に厚くあたたかい。正直なところ私は娘のようにもっと可愛がられたいのだ。もうすぐ29歳になる私は、年上の人に無条件で愛でられることに飢えてきた。同じ大人の立場として接してもらえるのは有難いけれど、あんまり大人ぶっても生意気だし、かと言って奔放すぎてもヒンシュクを買う。微妙な年齢だと思う。

そんなことに頭を使わずに、ただそこに居るだけで可愛がってもらえたらどんなに嬉しいだろう。幼稚なことを言っているのは重々承知だが、もう少し撫でくりまわされたい。

私って、おばちゃんになってもこんなこと願っちゃうのでは? うん、きっとそうだ。もしかしたら、私の周りにいるしっかり者のおばちゃん達も本当は誰かに甘えたいのかもしれない。

ところで私の評価、そろそろ60点くらいに上がってもいいと思わない?