わたしは高校生くらいまでずっと、人に頼ること、甘えることが苦手だった。
体調が悪いときに、そのことを誰かに伝えるのにすごく勇気がいる。悩みを抱えていても相談できない。手が届かないものを誰かに取ってもらうというような、ちょっとした頼みごとですら、頼む前にできる限り自分でなんとかしようと考えて、飲み込んでしまう。
本当は人に「頼りたくて」たまらないときもたくさんあった
人に迷惑をかけるくらいなら、自分が我慢すればいい、自分が我慢して解決するなら、誰にも知られずに終わることができるから。少し大げさに聞こえるかもしれないが、そういう風に考えて行動することが、小さい頃からいつの間にか習慣になっていた。
でも、本当は人に頼りたくてたまらないときもたくさんあったし、上手に甘えられる人がずっと羨ましかった。辛いときは声を上げられなかったけど、内心は誰かに「大丈夫?」と声をかけてもらいたくて仕方がなかった。
自分から助けを求めなければ、気づいてもらえるはずないのに。我慢して強い人間を演じるわたしの正体は、見栄っ張りで弱くて、ものすごく甘えん坊だった。本当のわたしは、夜眠る前に一人でこっそり泣いていた。
いつも自分が我慢することが、決して正解なわけではないこと、生きていく上で人に頼るスキルは必要であること。そして、自分が思ってるほど頼み事や相談をされた人が、迷惑がることはないということも、頭ではわかっていた。
それに、甘えられる人の方がかわいい。周りの人も、自分一人でなんとかできてしまう人よりも、上手に人を頼れる人の方を自然と助けたくなるはずだから。甘えられる人はいい意味で世渡り上手で、いろんな場面で得をしているのだろうなと思っていた。
だけど、やっぱりわたしは、人に頼ることが苦手なままだった。それはきっと、頼った相手に拒絶されたり、突き放されたりすることを極端に恐れていたからだと思う。
突き放されて痛い思いをするくらいなら、最初から頼らなければいい。そうやって壁を作り、一人でも生きていけるような顔をすることで、傷つかないように自分を必死で守っていた。
人に頼ることが苦手な「わたし」を変えてくれたのは彼氏だった
そんなわたしを少しずつ変えたのが、大学生になってからできた彼氏の存在だった。彼は屈託がなくて、心が海みたいに大きくて、わたしのことを真っ直ぐに愛してくれる。
初めは自分から好意を示すのが怖くて、なかなかできなかったけれど、友達や兄、そして父親みたいでもある彼の前では、今はいい意味で遠慮せずに、素のままを見せることができるようになった。
今まで躊躇っていたような頼みごともできるし、いろんな悩みを話すこともできるし、悲しいときに好きなだけ彼の目の前で泣くこともできるし、面と向かって素直に「好き」と言うこともできる。
心を預けきって、甘えても大丈夫だと自然に思える、そんな存在ができたのは初めてだった。わたしは全然かわいいタイプではないけれど、彼氏の前でだけはかわいい女の子でいることが許される気がした。自分の弱さを見せられること、守ってほしい願望を素直に表してもいいことが、うれしくてたまらなかった。
彼の前で、そんな風にふるまえるようになってからは、友人や家族にも困っているときは「困っている」とちゃんと言えるようになった。彼氏のおかげで、ふるまいたいようにふるまっていい、と自分を解放することができたのだと思う。
人を頼るということは、自分を信頼していないとできないのだと知った
そんな自分の変化を通して、人を頼るということは、自分を信頼していないとできないことなのだと気づいた。頼ったり好意を示したりしたら、突き放されるかもしれないと無意識に思ってしまうのは、自分に自信がなくて、自分がどう見られるかを気にしすぎていたからだ。
自分に自信を持てるようになったとまでは言い切れないけれど、自分を縛っていた目から解放されたから、少しずつ人に頼れるようになったのだろう。
自分のことをいい意味で気にしすぎない。それができるようになるきっかけは人それぞれ、誰かに受け入れられることだったり、何かに夢中になることだったり、はたまたもともとの性格だったりするのかもしれない。
これからのわたしもいろんなきっかけを味方につけて、もっと変わっていくだろうし、変わっていきたいと思った。