普段父親に、“男性らしさ”を感じることはない。私にとって、父親は父親でしかない。しかし、時々家族で過ごしていると小さなひっかかりがある。
小さい頃の記憶の中で、両親ともに免許を持っていても運転するのはいつも父親だった。今でも、こういったことは数多くある。家具を買ってきて組み立てるのは父親、草むしりをするのも父親。何故か、母親は運転や力仕事は自分にはできず、父親にだけできることだと思い込んでいた。
母だって家具を組み立てられるし、草むしりができるかできないかに性差はないはず
無邪気に笑って感謝する母親に対し、父親は何の疑問もなく感謝の言葉を受け取っている。私はここに、“男性らしさ”という生きづらさを見た。母親だって取説を見れば家具を組み立てられるだろうし、草むしりができるかできないかに性差は全く関係ない。それでも、父親が“男性らしさ”を「頼られること」と定義し、母親の反応に素直に喜んでいるとしたら、父親自ら“男性らしさ”のレールに気が付き、降りることはできない。
このように、“男性らしさ”は悪意が介在することもなく、まるで空気のように存在している。そして、“男性らしさ”は男性が振りかざすだけのものでなく、女性からも知らず知らずのうちに押し付けている可能性がある。
私が押し付けてしまった“男性らしさ”は、「男性が奢ってくれる」というものだ。
大学時代、2学年上の彼と付き合っていた。私たちの初デートは焼肉で、食べ終わってからお手洗いに行き出てくると、既に会計が済んでいた。デートに慣れていなかった私は事態が飲み込めないまま、店を出た。「奢ってみたかったんだ」と照れたように笑う彼を見て、私は急速に恋に落ちた。その後に寄ったコーヒー店も当たり前のように彼が奢ってくれた。
私たちは別れるまでずっと、奢り奢られる関係だった。そして、その関係は上下関係でもあったのだと思う。
下心のために奢ることは、彼が私をコントロールするための“男性らしさ”だった
その後も彼は、何もかも奢ってくれた。映画代だけは私が持つと決めていたけれど、不均衡であることは明らかだった。
彼は年上だし、社会人だし、私は学生だからお金ないし。こういった言い訳を心の中で重ねて、いつしか奢ってもらうことに感謝もなくなっていた。お金を払うところは見られたくないだろうと、お店の外で待っていたら、小銭のなかった彼があたふたと困っていることに気が付いた。私が後から財布を出さないといけなかった時、「この人格好悪いな」と苛ついている自分がいた。
ある時、「何故男性が奢るのか」という話題を、私から彼に振ったことがあった。
「デートプラン考えて、ご飯奢って、いかにセックスに持ち込むか。男はそれしか考えていないよ」
彼はそれが疑いのない、男性の生態であるかのように話した。私は彼の皮肉屋なところが好きだったので、真実に切り込んでいるだとか、格好をつけていないとか、そんな風に感じて、更に彼のことを好きになった。
今では、この奢り奢られる関係があったから、私たちは対等な関係になれず、結果的に別れることになったのだと分かる。そして、下心のために奢ることは、彼が私をコントロールするために都合良く定義付けた“男性らしさ”でしかなかった。
私は彼に何を渡しているか考えもせずに、金銭面の優位性にばかり固執して“男性らしさ”を押し付けていた。
“男性らしさ”を変えられたら、“女性らしさ”も変わっていくと思う
今では、デートの時は安易に奢ることも奢られることもせず、最初に割り勘を提案してしまうことにしている。私たちが男女であることや、年齢差や、立場など関係なく、対等な人間として関係を深めていくために必要不可欠なことであると考えるからだ。
もちろん奢る時もあるし、奢られる時もある。それは、男だから奢る、女だから奢られるという考えのもとではない。
例えば、私の誕生日のデートでご飯を奢ってくれたら嬉しいし、デートした先で私の大好きなスイーツのお店があったら、是非食べてほしいから奢る。男だから、女だからというところは越えて、一人の人間として、奢りたい時も、奢られたい時もある。
私が“男性らしさ”を変えていきたいのは、“男性らしさ”を変えることで、女性たちを苦しめる“女性らしさ”も変わっていくと思うからだ。
男性は奢らなければいけないという当たり前は、女性は奢られたらお返しをしなくてはいけないという当たり前を生んでしまうのかもしれない。そんな苦しい状況を変えていくために、女性としての息苦しさを世の中に伝えていくことも大事だけれど、私は他者に寄り添うことから、世界をより良い方向に少しでも持っていきたい。
“男性らしさ”をリセットすることは難しくても、私と出会った人間は、他にも無数の人間と出会って人生を過ごしていくから、一人の人間が変わることも社会にとっては意味のあることだ。
割り勘という小さな決意が、“男性らしさ”を変えるための小さな一歩になりますように。