連れて歩くには可もなく不可もない私。とりあえず恋愛が始まることは始まる
“恋愛”が始まりそうになると、ひとまず男性に好かれるための仕草やファッション、メッセージの返信の仕方などの、まとめのようなものを山ほど読む。いわば武装だ。
ベージュのアイシャドウにピンクのチークでメイクして、髪を内巻きにして、ミスディオールを纏って、かわいいキャラクターのスタンプをダウンロードする頃には、本当の自分は完全に消滅している。
もしくは炎天下でBBQに興じながら、本当は苦手なお酒を無理して飲んで、初対面の人たちとも血圧200ぐらいのテンションで察し続けた翌日は、ぐったりして布団から出てくることさえできない。
自分で言うのもなんだが、私は中肉中背でクセのない顔なので、だいたいどんな調理もそこそこにはハマる。頭もとても悪い方ではないので、相手に求められるキャラ設定をこなすことはできる。それなりにそつなくこなすので大きくがっかりさせることはないようで、連れて歩くにはきっと可もなく不可もないのだろう。とりあえず始まることは始まる。始まることは。
恋が始まっても、化けの皮はすぐに剥がれる
全く好みでもない自分に化けていられる時間は本当に短い。化けの皮が剥がれるというかは、自分の身体か心が先にギブアップする。
ある日突然、“今日は私がデートプランを考えたい”と言い出したら、別れの合図だ。
前衛的なダンスの舞台やら、マニアックな美術展示、単館上映の白黒映画、工場見学などに連れて行くのは序の口。
駄菓子屋で制限時間と予算を決めた詰め合わせをお互い作ってプレゼントし合うハロウィンやら、アフリカ式に祝うクリスマスやら、自分でも呆れるほどくだらない提案をするから、当然相手の男は全くついていけずドン引きする。
そしてそのまま終了する男と、あとは美味しい思いだけしようとする男とに分かれるけれど、共通するのはそこにはもう愛がないことだ。
いや、愛はきっと元々なかった。私じゃない私を愛そうとしてくれていた矢先にパッと振り返ったら化けた狸が座っていたのだから逃げるか狸汁にするかしか選択肢がないのは至極真っ当だ。彼らを責めるつもりはない。
初めからありのままの自分だったら、私を愛する人が現れただろうか?
“思っていたのと違う”
何度も聞かされた言葉だ。私は彼らを騙していたから愛されなかったんだろうか?最初から自分のままでいたら、果たしてありのままの自分とやらを愛する人が現れただろうか?答えはノーだ。
恋愛の最初にこぎつけるための武装さえもなかったら、ただの狸だ。だから武装して努力して、愛されて、愛が不変のものになって、そこから私がただの狸になっても変わらず私を好きと言ってくれる人が欲しかった。
でも最近思う。どうせ狸汁にされてしまうオチなら、一人で山の中でどんぐりを集めて暮らしていればよかった思う。もしかしたら一緒にどんぐりを集めてくれる雄狸が出てくる可能性もあったかもなーとはぼんやり思う。
自分の見せ方と見られ方と、その化けの皮を剥いだ本当の自分がものすごく乖離していると結局近道に見えても遠回りなのだと言うことを、身をもって体感しなければわからなかったのは愚かだったのだろう。