別れ方は喧嘩別れが多い。そして最後の別れ話を切り出すのはほとんど私からだった。
私が初めて「お付き合い」という関係性になったのは高校1年生の時。それから10年経った今までお付き合いした人は今の夫を含めて6人。別れたのは5人。
別れた5人には5通りの理由があるはずなのに、思い返せば私は必ずある1つの理由が共通している。
私がひとりの人間として扱われていないと感じると急に心が冷める理由
それは、ひとりの心・意思のある人間として扱われないという違和感と嫌悪感。
私はひとりの女の子であり、ひとりの人間だ。
学校の休み時間に廊下で話す時、学校の最寄りのバス停で一緒にバスを待っている時間、メールでのやりとり、電話でのやりとり、デート中。たくさんの場面の中で私は、彼らが私のことをひとりの人間として扱われていないなと感じてしまうと急に心が冷えていった。それでも、いや、気のせいかな?と思ってみるけれど、感じてしまった違和感はもうどんどん拭えなくなる。どれだけ彼らが言葉と時間を尽くして愛を伝えてくれたとしても。
そのひとりの人間として扱われないという違和感と嫌悪感から、私は彼らを振った。
我ながら細すぎるだろ、と思うこともあったが、相手はマネキンではない心のある・意思のある人間だと認識することが私にとって大事にしたい部分であるし、相手にも大事にしてほしい部分だった。その部分が欠けると、相手を自分の都合のいいように歪曲させて、心の隙間を埋める道具にしてしまうから。その時、関係はフェアではなくなるから。
なぜ私がこう思うに至ったか。それは私の生い立ちにあった。未就学児の頃に母と父は離婚し、私は母に引き取られた。その離婚原因は父からのモラハラと身体的・精神的・性的なDVだった。母は父の満たされない沢山の気持ちや感覚を埋めるために父の中で都合よく歪曲されたのだ。母はその後も、自分の隙間を他者を歪曲させて埋めるか、相手の隙間を埋めるような形の人間関係しか築けない。
それを育ちの中で見ていて、如何に相手と対等である関係性を作ることが難しいのか、相手を隙間を埋める道具では無くひとりの人間として見ることが難しいのかを感じてきた。
難しいけれど、対等であることが最も精神的にも肉体的にも健康的な関係であることにも私は気付いていた。
心が一転した瞬間、氷のように冷え全く色のない、何も感じない心に
相手を独占したいという欲、多感な思春期の性欲を満たしたいという欲、自身のプライドを支配したいという欲、暇で気が向いた時の都合のいい相手がいてほしいという欲…。
いくら彼らから、「好きだよ」「1番可愛いよ」「守りたい」「世界で1番大好きだよ」「一緒にいると幸せ」「一緒にいる時間が楽しくてあっという間」と言葉や態度で紡がれようとも、「自分は今のままでも満たされているけれど、相手がいればより楽しくなる充実する」という上での欲ではなくて、彼らのその欲が「自分自身を満たすための穴を埋めてもらう道具」として私をみているから発生する欲であると、感じ取ってしまった瞬間、私の心は冷えて、何か汚いものを見るかのような態度で相手と接してしまう。
あんなに好きな人だったのに、彼らのことを思うだけで心が弾み、カラフルな色に染まってみえた私の心は一瞬にして一転する。相手のことを考えても相手の姿を見ても、氷のように冷え全く色のない、そして何も感じない心になってしまう。
自分はなんて簡単で、愚かな人間なのだろうかと自分に失望することもあった。
けれど、恋愛感情よりもトキメキよりもドキドキよりもなによりも、異性や年上年下関係なく、互いに人間であると認識して付き合えるかの方が私にはよっっっぽど重要だった。
そうして冷めてしまった私もまた、彼らのことを人間として大切にできなくなってしまった。その結果、お互いが無駄に傷ついて傷つけあう喧嘩が発生してしまうことも少なくなかった。
だから、どれだけ好きだった彼でも、どれだけ一途な片思いの末に付き合えた彼でも、私はお別れをした。
別れを告げた瞬間、後悔が無かったわけではない。それでも、1番自分が大切にしたいことを強く否定してまで続けたい関係ではなくなっていた。
別れた理由はそれぞれのはずなのに、心の引き金を引く理由は全て同じ
そんな終わり方をする人が1人、また1人、と増える度、またこの理由か、またこれかと増えていくのはなんだか自分でも分からない虚しさがあった。
そうしてお別れした人が5人となった。本来5人いれば5通りの付き合い方があって、お別れする理由もバラバラになるはずなのに、気付けば私の心の引き金を引いた理由は全て同じ理由だった。
私はきっと、誰かに依存して穴を埋めてもらうのではなく、自分で自分自身を満たしてそのうえで相手がいればより楽しくなるという関係性を幼い頃から知らず知らずに求めていたのだろう。
その関係を築くためには、お互いを心・意思のある人間だと認め合うことが必要だった。そうしたお付き合いするには私も彼らもまだ幼かったのかもしれない、と今は思う。