色は色でも、私はピンクと黒と茶色と赤が好き。しかし、女性としての色を私は自分で求めていない。

色気がなくたって良いではないか。性的視線を浴びたくない人間だっているんだ。私は、私に色気を求めた人に言いたい。

成長していくにつれ、「性的対象物」として見られる機会が増えた

大学生1年の時、「マナマナは色気がないな」と男の先輩に言われた。言われたことで私が何かしたわけではない。好意を持っていない先輩ではなく、好意を持った人にそのセリフを言われたら、何か努力をしたのだろうか? と考えたが、恐らく何もしなかっただろう。

当時の私が、どのような私であったか。高校生から大学生にあがって数ヶ月の私。大学生といったら、大学生デビューをする人がいるが、私はしなかった。髪を染める事をしなければ、メイクもしなかった(どちらもしたのは確か、大学3年になってからだ)。

私は高校の時と同じ様に、黒髪ツインテールにノーメイク。私服も高校の時とほとんど同じだった。高校が私服だった為、新しく買うことはなかった。高校の時からカジュアルロリィタを着ていたので、カジュアルロリィタが中心だった。

大人っぽくしたいなど思わなく、ただありのままが良かった私。むしろ子供っぽくいたかった。メイクすると少し大人っぽくなってしまう私は、当時ロリィタを着てもメイクをしなかった。私はロリィタファッションが好き。ロリィタファッションは、“大人の少女服”ともいわれている。私が目指すものは未来の大人ではなく、過去に通ってきた少女であった。

成長していくにつれて、性的対象物として見られる機会が増えた。同時に性的対象物として見られたくないと思うようになった。性的消費を受けたくない。その一心。外見が女というだけで、男性にその眼差しで見られているということが嫌である。

女である以前に、私は「私」なのだ。女という商品ではない

性的消費が決して悪いものとは言わない。そう感じたのなら、それで良い。他人の浮かんできた感情について、煩く言わない。しかし、それをわざわざ直接伝えてくることが、私は苦手である。褒め言葉であっても。

それは、女として一方的に消費された時点で、男性が自分を支配しているかのように思えてしまうからだ。それは、まるで女という人形であるかのように。私は人形として扱われることが嫌いだ。私だって、人間なのだから。

私は、戸籍上女で女として生き、女の格好をしているけれど、女として見られたくない。女である以前に、私は私なのだ。女という商品ではない。消費されるために生まれてきたわけではない。

昔、ある場所で働いてた時、同じ職場の女の子が男の先輩に「彼氏がいるからか、やっぱり色気があるよな…」と言われていた。彼氏がいると色気ができるものなのか? 私には疑問で仕方がなかったことを覚えている。

彼氏がいるというだけで、赤の他人から性的消費を受ける。その現場を目の当たりにした私は、思考が追いつかなかった。しかし、当時パートナーがいなかった私は、その女の子の隣にいて、「君は彼氏がいないから色気がないね」と言われているようにも思えた。

色気を求める人もいれば、性的な視線を浴びたくない人もいる

様々な所で起こる消費。近年、私は動画配信をしている。そこでも性的消費が起こった。来てくださっていたリスナーさんに「セクシーな格好して」「コスプレして」「脚見せて」とお願いされたのだ。

もしかしたら、それをしたことにより、ファンは増えるかもしれなかった。また、高額ギフトを貰えるかもしれなかった。しかし、私は「しない」と断った。明らかに消費だからだ。配信中、立ち上がりチラッと太腿が見えた時は、リスナーさんに「この回の配信は神回だ」と言われた。性的消費を受けてしまったことに、苛立ちを覚えたことを今でも覚えている。

色気に対し、性的な眼差しで見られているようで私自身は否定的だが、それが魅力の一つだと捉える人もいる。他人から性的な眼差しで見られる。消費される。それを良いと感じている人もいる。

しかしながら、どちらも全員がそう感じているわけではない。性的な視線を浴びたくない人はいる。色気を自分自身が求めてない人もいる。その事を知って欲しい。

色気は、必ずしも必要か? 必ずではないだろう。今後纏うなら、性別が織り成す色などではなく、好きな色を纏って生きていきたい。私は、ピンクと黒と茶色と赤が好き。